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皇帝微笑(2)  
 時の権力者に不可欠なもの――。
 それは何と言っても、頑固で口うるさい「じい」。
 お約束中のお約束だ。
 特にニールセンのように、生まれながらにして皇帝となることを運命づけられた人間には至極当たり前のように「じい」が存在している。

 今日は一国の一大イベント・婚礼の儀である。
 重要度のランクでは即位の儀式、葬礼の儀式についで三番目であるが、その華やかさではそれらの儀式の比ではない。
 城内はもちろん、城下は異様な興奮と熱気に包まれていた。皇后がやってくるであろう城門から城の前の広場にに至るまで多くの民が集まり、ごったがえしている。

 しかし城内は城内でも、皇帝の住まう新宮では、一転して冷め切った空気――。
 いや、この男だけは別の意味で熱かった。
 禿げ上がった頭から湯気を立ち上らせながら。
「陛下! どこに居られるのですかーっ!」
 人気のない新宮の回廊に、皇帝のジイ、ピンガ・バックスのしゃがれ声がこだました。
 もうすぐ皇后が城下に入られることになっている。
 少なくとも皇帝はバルコニーへ出て皇后を迎え入れなければ、格好がつかない。

 しかし当の皇帝は、今朝になってようやくやる気を出したかと思ったら、直前で『とんずら』してしまったのである。



 ニールセンが控えているであろう謁見の間に続く執政室に、ピンガじいがたいそうな剣幕で駆け込んできた。
 しかしというか、やはりそこにいたのは――。
 純白に銀の刺繍の入った皇帝の第一礼装を身に付けたロビン少年だった。
 造りのよい椅子に、縄で厳重に括り付けられている。
 ご丁寧に猿轡も噛まされて、ロビンは苦しげに唸り声をあげている。
 もちろん、皇帝ニールセンの仕業だ。
 ピンガじいは目の前の光景に思わず目を覆った。
 急いで孫の口をふさいでいる布を解いてやる。
「ロビン! 陛下はどうなされたのだ!」
「す、隙をつかれて逃げられました〜」
「このバカ孫が! 自分の血を引いてるのが情けなくて涙が出てくるわい!」
 ふと。
 ピンガじいが何の気なしに部屋の隅に目をやると、そこには――。
 一人興奮するピンガを、なんとものん気に見つめている少年。
 皇帝と同い年の叔父、皇位継承権第一位のヴィンレット・アイゼンだ。
 それは優雅に、帝国名物の花茶なんぞを飲んでくつろぎまくっている。それも、皇帝専用の執政室で――。
 油断のならぬ男だ。
「まあまあ、ピンガ。そう興奮なさらずに。こんなところで血圧上がって倒れられても、始末に困りますからね」
 しゃあしゃあと言ってのけるヴィンレットに、じいは嫌悪の表情一杯だ。
 母は違えどこの男は先帝の末弟。ヘタに賢い分、扱いづらいのだ。
「……これはこれはアイゼン公。口が過ぎますぞ? それに、このロビンが身代わりにされてるのを黙って眺めておられたとは……悪趣味だの」
 じいの嫌味もいつものことと、ヴィンレットは首をすくめて見せた。
「ははは、僕だってアイツに脅されてたんですよ? 騒いだらロビンちゃんの命はないぞ、って」
 嘘バレバレだ。ロビンがどうなろうと、ヴィンレットにはまるで関係のないことだ。
 ヴィンレットは花茶を飲み干すと、カップを音を発てずに置いた。
 そして、これ以上ないくらいの素適な笑顔を、ピンガじいに向けてやる。
 瞳は真剣そのもの。えらく挑戦的だ。
「皇帝陛下がお出ましになられないのであれば、そのときは僕がジル・マイシェル殿を貰い受けますからご安心を。陛下にもさっきそう申し上げてきたので、何の問題もありませんから」
「なんと! 陛下がそのようなことを?」
 ようやく縄を抜けたロビン少年が、祖父と公爵の火花を揉み消しに入ってくる。
「何の問題もないって……問題大ありでしょ? ニール様、アイゼン公に取られたくないって、さっき散々暴れてたじゃないですか」
 それなのに、ニールセンがいない隙に、ヴィンレットがジル・マイシェル君を貰い受けるなどという暴挙に出たら……確実にこの帝国は終わりだ。
 どうせなら後腐れなく叔父と甥の刺し違えで、解決して欲しいと皆が思っている。おそらく。いや、きっと。
「じゃあ何でアイツは逃げるんだ。そんな、訳の分からないかんしゃく起こして逃げられたら、ジル殿もたまったものではないでしょうに」
「とにかくですね、一応、影武者の僕がジル様にお会いして、そのあと事情をご説明しますよ」
 ロビンが持ち前の事務処理能力を発揮して、優等生的発言をする。
 しかし、この若き叔父が引き下がるはずもない。
「選んでもらいましょう」
 ヴィンレットは笑った。
「ジル殿にどちらがよいか選んでもらえばいいんです。マイシェル家はお金さえもらえれば文句ないでしょうから」
「もう、アイゼン公。無茶言わないでくださいよ……」
「であるなら、わしも立候補させてもらおう」
 ピンガじいの突然の言葉に、辺りに沈黙が走る。
 そして、ヴィンレットとロビンの声がきれいに重なった。
「「はああ??」」



「何考えてるんだよジジイ!」
 ロビンは困惑の色を隠せない。
「とうとう、モウロクしましたか……」
 ヴィンレットに至っては、まるで汚いものを見るかのような軽蔑の眼差しだ。
「ええい、うるさい。わしだってれっきとした独り者だ。金だってこの宮殿の中では一番の給金取りだぞ。貧乏家の姫ひとりくらい、たやすいことよ。可愛い妻は男の永遠の憧れ……」
 ――悲しいまでの年寄りの妄想だな。
 ヴィンレットは意地悪い笑顔を見せた。片手で頬杖をつき、空いているもう片手を軽く振って見せる。
「一国の財政を傾けるほどの姫君を? 宮仕えのじいさんが? ははは、無理無理」
「……いま、何と申された」
 ピンガはヴィンレットの嫌味なまでの笑顔を見つめたまま、次の言葉を待っている。
「無理無理、と言いましたが」
「そこではない!」
「宮仕えのしがないジジイ、ってトコですか?」
「しがないは余計だ! ではなくて!!」
 一人いらだつピンガに優越感を覚えたのか、皇帝の若き叔父君は意気揚揚と語りだした。
「――隣国の民が飢えているのは、実はジル殿のせいだ、とね。社交界ではもっぱらのウワサですよ。宮廷にこもっていらっしゃるあなた方はご存知ないでしょうけど」
 くくくくっと、ヴィンレットはそれはおかしそうに笑っている。
 ピンガじいとロビン少年は、目を見開き言葉を失った。
 なんてことだ。
 もしかして、決断を早まってしまったのではなかろうか。
 見目麗しきことが先走りして、半ば金の力で貰い受けることにしたのだが。
 一国の財政を傾けた――。考えるだけで恐ろしい。
「ええい、こしゃくな! わが国に嫁ぐからには質素倹約を叩き込んでやる」
「ああ、なんと甲斐性のない。確実に、ピンガはジル殿に選んでもらえませんねぇ」
「まだそのような戯言を申しておるのか。おぬしのような金のモウジャなど、姫君が相手にする訳がなかろうが!」
 ピンガじいが熱くなればなるほど、ヴィンレットは楽しくて仕方がないようだ。有閑貴族とは所詮こんなものである。
「しかし、アイツにジル殿の相手が果たしてつとまるのか……見ものですね。しばらく退屈しないで済みそうだ。はははは」
 ヴィンレットの軽快な笑い声が、執務室内に響き渡った。
 その明るさとは裏腹に、ロビン少年の心は暗く沈む一方だ。
「それは……言わないでください、アイゼン公。確かに先は思いやられますね」
 深い深いため息が、ロビンの口から吐き出されていく。
 苦労するのはいつだって自分であることを、ロビンは自覚していた。
 ――ニール様も、アイゼン公も、そしてこのじじいも。
 歳を感じさせないこの熱血ぶりは、もはや尊敬ものだ。
「ええい、陛下はどこへ逃げられたのやら……こうしてはおれん、皆のもの、陛下を捕らえたものには金貨10枚。首に縄付けてでも引っ張ってまいれえええーっ!」
 ピンガじいのしゃがれ声が、再び新宮の回廊にこだました。




 その頃、渦中の皇帝陛下・ニールセンは――。
「見えぬ。何も見えぬぞ」
 ロビン少年から無理やり剥ぎ取った宮廷御用人の淡い灰色の服を身につけ、日除けの帽子を二つ重ね、ニールセンは重い足取りで石畳の上を歩いていた。

 宮殿へと続く街道は、もはや人で溢れかえっていた。
 一人で城下に出るなど、初めてのことだった。このような人ごみの中など、経験したことはない。
 ニールセンは袖で口元を押さえ裏通りへ抜ける小路へいったん退避した。

「なんと淀んだこの空気……目眩がするわ」
 ぜいぜいと、呼吸するのもままならない。
 奇妙なにおいがする。
 道端にずらり軒を並べる屋台やら露天商やらが、その場で作る食べ物のにおいだ。
 一人の子供が、屋台に走りよっていく。
 ニールセンはじっとその様子を物珍しげに眺めていた。
 薄くのばした生地を鉄板で焼き、それを紙に載せ、果物を包み込んで、出来上がり。
 銅貨一枚と交換。
 子供は紙を上手く剥ぎ取り、器用にその食べ物にかぶりついた。そしてそのまま歩き去っていく。
「歩きながらものを食べるなど……信じられぬわ。しかも毒見もせずにいきなりガブリとな? どうなっておるのだ」
 ニールセンはもう我慢ができなかった。
 気がつくと、ふらふらと引き寄せられるようにして屋台の前に立っていた。
「いらっしゃい。おや、お役人様。いかがなさいましょう?」
 店主はニールセンの身なりを見て、宮廷御用人であるとすぐに分かったらしい。まさか皇帝陛下であるとは、もちろん気付いていない。
「今しがたの子供と同じものをくれぬか」
 そう告げると、店主はあっという間に生地を焼き上げ、果物を挟み込み、簡単に紙に包んでくれる。
「1キュールになります」
「今は持っておらぬ」
 店主はニールセンの言葉に驚いた。
「それではこれはお売りできねえです。申し訳ありやせんなあ」
 いくら役人であっても、特別扱いすることは出来ない。この帝国は厳正なる法治国家だ。物と貨幣が引き換えされなければならないのは法律で定められている。
 しかし、皇帝のニールセンには、そのような一般常識は通用しない。
「そんな……どうしても食べてみたいのじゃ。お金とやらが必要であれば後で持ってこさせるゆえ」
「困りますなあ。あんまりしつこくされると衛兵に通報しますぜ」
 店主は半ば困り顔。面倒は起こしたくないのだろう。衛兵という言葉を出して、ニールセンが引き下がるのを期待しているようだ。
 皇帝、理解不能――。
「そんな。どうしてなのじゃ? そこにものがあるというのに。ないものをねだっている訳ではないのだぞ?」
 それはまるで幼い子供の疑問のように。しかし、店主からの答えは、ない。

 そのとき、突然。
 ニールセンの目の前に金貨が降ってきた。カウンターの上を緩やかに転がり、やがて止まった。
「まだ、足りませんか?」
 女の声だった。
 頭からすっぽりとローブに身を包んでいる。顔は半分以上隠れていたが、立ち居振る舞いは、随分と若さを感じさせた。
 店主はおどおどしながら答えた。
「い、いや……金貨一枚で、百個は買えますぜ。あいにく釣りが……せめて銀貨でしたら」
「釣りなどいりません。ではこれにて」

 颯爽と現れ、悠然と去っていくローブの女性を、ニールセンはただ呆然と見送っていた。
 手には果物の巻き菓子を握り締めたまま――。

 表通りから流れてくる歓声が次第に大きくなる。
 もうすぐ、皇后の乗ったお輿の行列が、ニールセンの側を通過しようとしていた。


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