ニールセンは持ち前の猜疑心の強さを、露骨に顔に出していた。
なんと言っていいものやら。
皇帝私室に通された男は、ニールセンが認識する画家という職業の風貌とは、えらくかけ離れていたのだ。
「まことに……まことにこの者が? ロビン、余にはどこぞのイカれた遊び人にしか見えぬぞ」
ううむ、とロビンは唸った。確かにニールセンの言う通りなのだ。
日に焼けた飴色の肌に、ツタのように絡まった黒い髪。それは頭のてっぺんでまとめられており、そこから色とりどりの貝殻の飾りを垂らして、耳障りな音を発てている。
すすけた茶色の旅服は異国の文字をかたどった白い模様で全身埋め尽くされており、まともに向き合うと目がチラチラするのだ。
珍妙なのはその出で立ちだけではなく、その画家本人もなかなかの変わり者らしい。
なんとその画家は、失敬にも皇帝ニールセンを指さして、豪快に笑ってみせた。
「わはははは、これはこれはご冗談がお上手! ご安心ください。俺はこう見えても大陸イチの生真面目な正直者でこの辺りじゃ通っているんですから」
「大陸イチなのに、この辺りでしか通っていないって、……辻褄が合ってない気がしますけど?」
ロビンは早くも不安一杯だ。
今やカード絵師は引く手数多。あまりにも名の通った画家を城に呼び寄せては、どうしても目立ってしまう。
そこでロビンは知り合いの画家に頼んで、新進気鋭の絵描きを紹介してもらったわけなのだが――。
まさかこんな怪しいものが来てしまうとは。
まったくもって予想外のことだった。
このままでは、ニールセンが癇癪を起こすのも時間の問題だ。
ロビンはニールセンの様子を恐る恐る窺った。
すると意外にも、皇帝陛下は落ち着いた態度をみせている。
「まあ、身なりなどはどうでもよいわ。それよりおぬし、絵筆の腕は確かであろうな?」
「あああ、なんと愚かなる質問を! 私の手にかかれば枯れた雑草は色とりどりのお花畑に、屍は生ける姿に、廃墟は過去の栄華を取り戻し、この絵筆一本で至上の楽園を再現して見せましょう!」
全てが大袈裟だ。無駄にテンションが高く、普通の人間であれば敬遠するところだ。しかし、皇帝にはどこか通ずるものがあったらしい。
「なんと素晴らしい……余は心震えたぞ。そうそうに取り掛かるがよい」
皇帝、ノリノリだ。
一方、ロビンの目は半信半疑。
「胡散臭いなあ……」
画家は派手な上着の内ポケットから商売道具の絵筆を取り出し、両手に一本ずつ握り締めた。そしてそれをロビンの身体にあてがいながら、ぐるぐると周りを歩き出す。
「ち、ち、ちょっと待ってくださいよ! 僕じゃありませんよ? カードの絵にしたいのは皇帝陛下の方なんですけど!!」
ロビンの面食らったような声を聞き、画家は立ち止まった。きょとんとした顔で目を瞬かせている。
「……だから、皇帝陛下ですよね? 俺がいくらあちこち放浪して歩いてるっていっても、お顔くらい存じ上げてますよ? 先だっての婚礼の儀には最前列で祝福させていただいたんですから!」
画家がなぜロビンを皇帝陛下と勘違いしているのか、その理由が分かった。
そう、確かに婚礼の儀に華やかな装いで群衆の前へ姿を現したのはほかでもない、このロビン少年だったからである。
しかし今、この部屋にいるのはニールセンとロビンの二人。
その服装には歴然とした差があるし、何といっても言葉遣いがまるで違うではないか。
気づかない方がどうかしている。
「僕は身代わりにさせられていただけなんですよ。本当の皇帝陛下はこちらのお方なんです」
「え? この青白いお人形のようなお兄さんがですか? あ、そうなんですか? これはこれはとんだご無礼を」
画家は特に悪びれた様子もなく、しゃあしゃあと弁解してみせた。
確かに失礼極まりないのだが、その権力を恐れぬ堂々とした態度が、ニールセンにとっては逆に好感触だったらしい。
「とにかく、余の一番カッコいい姿を描いてくれぬか。ちょっとこう……若い娘の好むような感じがよいのであるが」
「おおっ! 俺の一番得意な分野ですよ。分かりました。世の女性たちが皆嬉しさのあまり卒倒してしまうような凄いやつを!! キタキターっ!! では早速、へんっしん!」
画家は持参の大きなカバンから小道具を次々と取り出した。
「何をするのじゃ?」
「少しばかり化粧を施しますので」
「化粧とな!? 余はこう見えても男であるぞ?」
「己が身体も画板に見立てるのですよ、陛下! さあ、新しき境地へ俺とともに出かけましょう!」
そう言う間にも、色とりどりの小瓶を取り出し、画家の感性に任せてすばやく化粧筆を操っていく。
ニールセンは慣れぬ感覚に途惑っているのか、微動だにせず、画家のなすがままにされている。
「絵描きさん、あ、あの一応ニール様はこの国の最高権力者ですので、あまり過激なことは、慎んでいただきたいんですけどねえ……」
ロビンは自分の立場上とりあえず注意を促してみるが、徐々に出来上がっていくニールセンの顔に対する好奇の念が勝ってしまう。
左右のまぶたはそれぞれ緑と青に染め上げられ、金色の顔料で目の輪郭を縁取りされて。
「なんとも化粧栄えのするお顔でいらっしゃる! さあ、どんどんキタキタぁっ、湧いてきたー!」
「これが新らしき境地とな!? 余はいま、カッコよいか??」
「それこそまさに新境地! いま陛下は輝いておられます!」
もはや喜劇役者である。
皇帝アリエス家の末裔がこのようなテイタラクでは――ご先祖様はさぞかし嘆いているに違いない、と心の中で密かに嘆くロビンだった……。
「随分と楽しそうな陛下のお声が、西宮のほうまで届いておりましてよ」
男三人が騒いでいる皇帝私室に、美しく透き通った女の声がした。
その声のするほうを、皆いっせいに振り向いた。
ゆっくりと開いた入り口ドアから姿を現したのは――。
「皇后ではないか!? なぜかような場所に出向いて参られたのじゃ?」
十日前にニールセンが皇后として迎え入れた、ジルという少女だった。
「陛下のお顔を拝見したかったという理由では、いけませんの? お邪魔でしたら出直しますわ」
お輿入れしてからというもの、皇后は『西宮』と呼ばれる建物で暮らしていた。皇帝であるニールセンは広大な中庭を挟んだ『新宮』にいるため、城の中でまともに顔を合わせることは、いまだなかったのである。
ようは政略結婚なのだ。
まだ十七になったばかりの娘が借金のかたに嫁いできた――ニールセンはそんな皇后ジルの身の上を案じ、ここの暮らしに慣れるまではあえて距離を置き、当たらず触らずの暮らしを送れるよう、篤く取り計らっている。
だが、しかし。
ニールセンだって、まだ十八になったばかりの青年だ。
年頃の美しい娘を形だけでも皇后として迎え入れて、気にならないわけがない。
現に今、ニールセンは突然目の前にあらわれたジルを見て心拍数が跳ね上がっていた。
つやのある栗色の髪は腰まで真っ直ぐ伸び、前髪は銀の髪飾りで押さえてある。ドレスのデザインは簡素だったが、生地は上質な薄紫で滑らかな光沢を放っていた。
そして何といっても、完璧に整ったその美しい目鼻立ち。見るものの心を確実に奪ってしまう。
もちろんニールセンも例外ではなかった。クギ付けである。
その美しい緋色の唇から『陛下のお顔を拝見したかった』などと言われ、ニールセンはすっかり落ち着きをなくしてしまっていた。
「あ……い、いや……よう参られた。おひとりか?」
どもりながらそう言うと、皇后ジルは優雅に微笑んでゆっくりと頷いてみせた。
自分のためにわざわざ一人で、ジルが西宮からここ新宮までやってきた――そのことが、ニールセンをひどく舞い上がらせた。
どうしたら皇后は自分のことを気に入ってくれるのか。
あの婚礼の日に彼女の手を取った瞬間から、ニールセンはそればかりを考えていたのだ。
しかしこの皇后の様子を見る限り、それは要らぬ心配だったようだ。
「ところで何をなさっておいでなのです? お化粧ですの?」
ジルが不思議そうにニールセンの顔を見つめている。
無理もない。
どう見たって、なにやら怪しげな風体の男に奇妙な化粧を施されているという、非日常的な構図――。
「こ、これは何でもない、何でもない、何でもないのじゃ」
ニールセンはあわてて両手で顔を覆い、必死に化粧をこすり落そうとした。
もう、ぐちゃぐちゃだ。いろいろな色が交じり合って、子供の落書きのような顔になっている。
その脇で、驚嘆の声を上げる男が一人。
「おお……これはこれはなんとお美しい娘さんだ! きたきた、湧いてきたぞ! 新しい創作意欲がレヴィランの泉の如く! とどめなく! さあ、この大陸イチの画家があなたの美しさをこの紙に写し取ってさしあげましょう」
画家は突如目の前に現れた美しき少女によって、持ち前の創作魂に火をつけられたようだ。馴れ馴れしくジルに歩み寄り、その手を取り、力任せに引き寄せた。
ジルはあやしげな画家の強引な接近に物怖じひとつせず、目を更に大きくして少し驚いたように言った。
「あら、私を? カードの絵柄にですか?」
「ああ、俺はきっとあなたを描くために、この場所に運命的に引き寄せられたのだ! 芸術の神はいつも私の味方をしてくれるのですよ」
「そうなのですか? それは素晴らしいですわねえ」
メラメラと、嫉妬心の炎が燃え上がった。
ブチブチと、血管の切れる音がした。
もちろんその音の発生源は『皇帝陛下』である。
ニールセンは二人の間に割り込み引き離すとジルを自らの背にかばった。そして、画家の背中めがけて大きく蹴りを一発食らわした。
「気安く触れるでないわ! 余の、余の、余の皇后ぞ!?」
画家はその勢いで側にいたロビンにぶつかり、そのまま二人まとめて部屋の隅まで飛ばされた。
皇帝、いつものご乱心である。
画家の下敷きになったロビンは必死に這い出し、よろめきつつ立ち上がった。
「いてて……んもう、ニール様!!」
ロビンの剣幕に、ニールセンはたじろいだ。
「僕はともかく、画家の腕は商売道具なんですよ? 怪我でもさせたら絵を描いてもらえませんよ? いいんですかそれで!?」
さすが、口うるささはジイゆずりだ。皇帝、もはやカタナシである。
「そ……それは、困るの」
「ええ? ……皇后様? あ、そうなんですか? これまた婚礼の儀のお方とは別人なんですねぇ?」
画家はジルの素性に驚いていたが、その品格に納得したらしい。やがて照れたように頭を掻き、申し訳ないと謝罪した。
「ねえ、そこの絵描きさん」
ジルはかばわれたニールセンの背中の後ろから、画家に問い掛けた。
明るく楽しそうな笑みを浮かべながら――。
「ここのお城の中の人間を全て、このカードにお描きなさいな。そうねえ……三日もあればよろしいかしら?」
「美しい皇后様の頼みであれば、どんな望みも聞きましょう」
後先を考えない画家の発言に、ロビンは思わず頭を抱えた。
どいつもこいつも、浮世離れした人たちばかり――。
「ジル様……それはいくらなんでも。千はゆうに越えますよ? 三日どころか一年はかかりますって」
ジルは事も無げに言ってみせるが、その数字は半端ではない。
ロビンにはジルの言葉が冗談なのか本気なのか、判断がつかなかった。
しかし、というかやはり。
「あら……つまりませんこと」
ジルは退屈そうに言った。ロビンの返答がどうやら気に入らなかったらしい。
ニールセンは思わず、背後にいるジルの方を振り向いた。
そしてジルの表情を自分の目で確認し、今度はロビンと画家の二人を交互に見やる。
ここが、権力の見せ所だ。今使わなければ、いつ使うのだ――。
「何を言うておる、ロビン。余は皇帝ぞ? 不可能などという言葉は知らぬ。さあ、余の命令じゃ。皇后の願いを聞き届けよ」
言うことは立派だが、その顔は化粧がさらに崩れて、喜劇役者どころか大道芸人と化している。なんとも惜しい……。
それはさておき。
三日間で千枚以上のカードを描くとなると――。
しかも、ジイには内緒で秘密裏に事を運ばなければならないときた。
これ以上ありえないくらい、至難の業だ。
「いったい僕に、どうしろっていうんですか? ……ホントにもう」
ロビン少年の悲痛な叫びは、もはや誰の耳にも届いていなかった。
さあ、真の試練はここからである。
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