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皇帝失笑(5)  
 本日の舞踏会は「仮装舞踏形式」である。
 女性はみなヴェールで顔を包み、男性は目の部分がくりぬかれたさまざまな形の仮面をつけている。
 この国では祭りごとがあると仮装をして賑やかに踊る慣わしがある。そのため貴族に限らず平民でも、仮面やヴェールの一つや二つは持っていて当たり前だった。

 ロビンとジルがお輿に乗ってアイゼン公爵邸へ到着したときには、正門前の広場は貴族が乗ってきたお輿によって、辺りは埋め尽くされていた。それぞれのお輿にはお輿用人が二人ずつ、ついている。
 青い仮面をつけたロビンの後を、ピアラの花の紋様のヴェールで顔を覆ったジルがついて歩く。サマにならないので、ロビンはジルと腕を組もうとしたが――ニールセンの恨めしい顔が浮かび上がり、慌てて首を振った。

 ――いくら役得とはいえ……バレたらきっと、殺される。

 不自然なくらいの距離感がちょうどいいのだ。


 正面玄関へ到着すると、そこにはアイゼン公爵家の執事が、招待客の受付をしていた。ロビンの姿をとらえると、一礼し、すぐさま建物の中へと消えていく。
 ロビンと執事とは古くからの顔見知りだ。恐らく若き主人に、ロビンとその連れが来たら知らせるように、と言い付けられたに違いない。
 その証拠に、当主自ら、すぐに二人を出迎えにきた。
「ジル殿。ようこそおいでくださいました。素適なドレスですね。一段とお美しいですよ」
「陛下が出席できないことを詫びておられましたわ。それにしても……公爵様のお住まいは随分と華やかでいらっしゃいますのね。驚きましたわ」
「これはこれはお世辞がお上手。敷地など、お城の半分しかないんですよ。お恥ずかしい限りです」
 そんな調子のいいヴィンレットをたしなめるように、ロビンは冷ややかに言った。
「恥ずかしいだなんて……アイゼン公にそんな謙虚な気持ちがあったなんて、初めて知りましたよ」
 ヴィンレットは声を出さずに、片頬を引きつらせて笑った。そしてロビンの右腕をおもむろに掴んで、ジルへ背中を向けさせた。
 聞こえてはマズい話、らしい。
 ヴィンレットはロビンの耳元でささやくように言う。
「やっぱり来なかったか、ニールセンのやつ。まあ、あいつは運動能力ゼロだからな。楽しく踊りたくても踊れないさ」
 妙に身体を近づけてくるヴィンレットが、ただならぬ雰囲気をかもし出している。こうも魂胆見え見えでは、逆に潔く感じるほど。
 もう、どうにでもなれ、とロビンは諦めの境地だ。
「……アイゼン公、お手柔らかに頼みますよ?」
「叔父が自分の甥の伴侶と言葉を交わすことが、そんなに罪なことか?」
「それだけで終わるんなら誰も文句言いませんし、世界は平和なままで、この国は末永く安泰ですよ!」
 ヴィンレットはロビンの嫌味に臆することなく、最上級の素適な笑顔を造り、再びジルの方へと振り返った。
「では、手始めに一曲、お相手願えますか?」
「ええ。久しぶりですので、導いてくださると嬉しいですわ」
 ヴィンレットはジルの手をとると、広間の中央まで進み、片手を上げて指を鳴らしてみせた。
 それを合図に、音楽の演奏が始まる。
 ヴィンレットとジルは見つめ合いながら、調べに寄り添うようにして右へ左へ自由に舞う。
 ときおり、ヴィンレットはジルに何かを語りかけているようだ。とびきりの口説き文句を披露しているに違いない。

 ロビンはヴィンレットとジルの踊る姿を眺めていた。ロビンだけではない。気付くと周囲の貴族たちの視線をすべて集めている。
 美しい。何もかもが美しい。
 悔しいけれど、お似合いだ。
 もちろんニールセンだって、見た目だけならなかなかの美丈夫だ。ジルと並んで寄り添う姿は、神の御使いと思し召すほど清純な美しさを放っている。
 しかし。
 ヴィンレットは十人が十人、男前と認める端正な面持ちで、男性としての魅力にあふれている。贅肉のない引き締まった身体つき、洗練された身のこなし、知的な話術、優れた社交能力。

 ――ジルがアイゼン公に惹かれるのも時間の問題か……。



 もうじき、一曲踊り終えるようだ。
 ロビンはジルに飲み物を用意しようと、広間の隅に設置されたカウンターへと近づいた。

 ――冷たい花茶があれば……アイゼン公の好物だからきっと用意してあると……思う? ……け……どっ!?

 ロビンは思わず自分の目を疑った。
 カウンターのすぐ脇に、広間への出入り口がある。開け放してあるその出入り口の辺りで、出入りを繰り返す挙動不審な白い仮面の男――。
 胸ポケットには、先ほどこの目でしっかりと見た覚えのある、ピアラの花の胸飾りが差し込んである。
 ロビンはもう瞬きするのも忘れ、その男を食い入るように見つめた。
 疑惑は確信に変わった。
 ロビンはその男に気付かれぬようくるりと背を向けると、なりふり構わずに広間を斜めに突っ切って、最短距離でジルのもとへと走った。ちょうど踊り終えたところらしく、目的の人物は広間の中央にいた。
「ジっ、ジっ、ジル様っ!! 大変ですよっ!!」
 必死の形相で、ジルに訴えた。一大事である。
 ジルの側にはヴィンレットが控えている。
「どうしたのですロビンさん?」
「どうしたんだいロビンちゃん、広間を走り回るのはちょっとお行儀悪くないかな?」
「それどころじゃないですよ! 僕の見間違いでなければ……いや、見間違いであって欲しいですよ!」
 ロビンは恐る恐る、もう一度確かめるために振り返ると――。
 未だ、入り口付近でうろうろしている怪しげな男がいる。
「あれだけ嫌がってたくせに……ホントに素直じゃないんだから」
 そう言ってため息をつくロビンの視線の先を、ジルとヴィンレットは辿っていく。そして、すべてを理解したようだ。
 ジルの顔は嬉しそうに綻んだ。
「楽しかったですわ、公爵様。――では」
 ジルは軽く首をかしげて、ドレスの裾を軽く持ち上げ、礼儀正しく挨拶をした。
 舞踏会は始まったばかり。しかし、ジルはヴィンレットと踊るのを堪能したのか――もう充分だという意思表示をみせた。



「お相手していただけませんこと?」
 ジルは白い仮面の男に右手を差し出した。
 男は明らかに動揺し、たじろいでいる。
「そ……それは、出来ぬ。余は――あ、いや私は見物に来た通りすがりの者なのじゃ」
 ジルは仮面の男の胸飾りを見て、微笑んでみせた。
「胸飾りが良くお似合いですわ。さあ、私の手を取ってくださいませ、通りすがりさん」
「そ、そのようなことを申されても……」
 そこへすばやく入り込んで、ジルの手をとったのは――ヴィンレットだ。
「女性からの誘いを受けないのは、舞踏会において最大の無礼で、恥ずべきことですよ? ――通りすがりさんとやら」
 仮面の男が自分の正体を明かせぬことを良いことに、ヴィンレットはからかい始めた。
 もちろん仮面の男・ニールセンも必死である。
「見物しに来ただけと言うておろう。まことの舞踏なるものをよう知らぬのだ」
「では、お目にかけましょう。まことの舞踏をね。せっかくおいでになられたのだから、あなたもやってみてはいかがです? 手ごろな練習相手ならいくらでも――ああ、エルガー男爵夫人。この方のお相手を務めていただけませんか?」
 ヴィンレットが呼び止めたのは、恰幅のいい中年の貴婦人だ。
 ドレスのヒダは伸びきって、さらにはじけそうである。化粧も厚く、ニールセンの苦手な香水の匂いがプンプンしている。
 何もかもが、強烈だ。
「あら、よろしいのかしら? ヴィンレット坊ちゃんの頼みならもう喜んで。ほれあんた! 私につかまりなさい」
 ニールセンは男爵夫人に胸倉を掴まれると、無理やり腰に手を回すように絡ませられ、胸だか腹だか判らない肉の塊の谷間に顔を押し付けられた。
 そのまま引きずられるようにして振り回される。
「ひいいぃぃっ! 余、余は踊れぬと言うておろうぅぅぅ! ヴ、ヴィンレットぉぉぉっ 早く、早く止めさせぬかあああぁぁ……」
 正体を隠すどころではない。
 ニールセンの叫びも、ヴィンレットには愉快なだけらしい。もちろん助けようとはしない。指を差し、腹を抱えて笑っている。
「わはははは。わはははは。巨漢の男爵夫人の贅肉に、ニールセンのやつ、すっかり埋もれてるぞ、わはははは」

 ――さすがにこれは……マズいかも。

 ロビンがヴィンレットの振舞いを諌めようと、口を開きかけたそのとき――。

「公爵様」
 ジルは言った。その視線はしっかりとヴィンレットの顔に注がれている。
「立場をわきまえなさいませ」
 一瞬、何が起こったのかロビンには分らなかった。
「あわわ……ジ、ジル様?」
 ジルは尚も引き下がろうとしない。
「皇帝継承権はあくまで『権利』であるだけなのですよ。皇帝はあのお方、そして私は皇帝の后です。もう一度言いますわ。立場を――わきまえなさいませ」

 皇帝はこの帝国を統べる者――。
 選ばれし者のみが継承する、唯一無二の玉座――。

「そんなことを言われたら、本気で狙いますよ? 次の帝位をね。僕は別に帝位なんか興味ないですが、あなたが皇后なら――それも悪くない」
 ヴィンレットの強引なまでの告白にも、ジルはひるむことはなかった。そこに、ためらいなどは存在しない。
「私は確かに、皇帝の后として、お金と引き換えにこの国に参りましたが――公爵様が皇帝になられても、それが有効であるとは限りませんのよ」
「では、どうすればあなたは僕の方へ振り向いてくださるのですか?」
 尚も食い下がるヴィンレットに、ジルは首を傾げ、たった一言。
「分かりませんわ」

 ロビンはただひたすら、二人の成り行きを見守っていた。
 その間もずっと、ニールセンと男爵夫人の「格闘」は続いていた。
 しかし、気付いたときには曲の終わり――結局、途中で助けられることはなかった……。



 帰りのお輿の中――。
 ロビンたちが乗ってきたお輿とニールセンが乗ってきたお輿、二台あったが、一台は空のまま帰してやった。そもそも一台のお輿は四人乗り。二人ずつ向かい合うようにして腰掛けるように座席がついている。
 ロビン少年の隣にニールセン、向かい合うようにしてジルが座っていた。
 お輿はゆっくりと動き出す。
 ニールセンの顔は青白い。血の気が引いている。男爵夫人の贅肉に挟まれて、窒息しそうになっていたらしい。
 普段から死ぬ死ぬと言っているニールセンだって、こんな死因は決して本望ではないだろう……。
 ジルはゆっくりと動くお輿の速度に合わせるように、穏やかに話し始めた。
「陛下は……公爵様のことがお気に召されないのですか?」
 ニールセンは黙ったままだ。
 誰よりも何よりも愛しい皇后ジルを前にして――不機嫌そうに口をへの字に曲げたまま、気だるそうに呼吸を繰り返している。
 ロビンは見かねて、肘でニールセンを突っついてやった。
 沈黙は続く。お輿の下の車輪の振動が、単調に響いている。
 ようやく、ニールセンが重い口を開いた。
「嫌いじゃ。大嫌いじゃ。…………皇后も嫌いじゃ」
「あら、私もですの?」
 ジルは驚いたように、大きく瞳を瞬かせた。
「余を置いて行ってしまう皇后など……余は独りで……独り城におって」
 そこまで必死にこらえていたものが、ぷつりと切れたらしい。ニールセンの透き通った深い青の両目から、涙があふれた。
「寂しかったのじゃ」
「では今度は、一緒にまいりましょうね」
「もう、二度と行かぬ」
 ニールセンはあふれ出た涙を必死に袖で拭った。
 少し、落ち着いたらしい。
「――皇后も、どこにも行かせぬ。余は孤独なのじゃ。皇后は余の側におらぬと嫌じゃ」
 ニールセンは子供のような駄々をこねる。
 同い年のヴィンレットとは、ありとあらゆる面で差が大きく開いている。
「陛下のお側にはロビンさんがいらっしゃるではありませんか?」
「これは余の影じゃ。共におったって、とりたてて楽しゅうないわ」
「それはまた……随分な言い草ですね、ニール様?」
 ようやくニールセンに元気が戻ってきたようだ。ロビンは少し安心した。憎まれ口を叩く元気があるなら、大丈夫である。
 お輿はゆっくりと進んでいる。
 ジルは何かを考え込むような仕草を見せ、向かいに座るニールセンに尋ねた。
「陛下は、この国の法律にお詳しいですか?」
「法律とな? 法律の書があることは知っておるが、その中身は解らぬ。余の代わりに、ほれ、このロビンが知っておる」
 ニールセンは右手の親指を、右隣に座るロビンへと指し向けた。
「その通りです。ニール様に法律の事を聞くなど、ネコに道を尋ねるようなもんですから」
 ロビンは傍らのニールセンをちらりと見やった。
 本人は嫌味を言われたことにすら気づいていない。
 ジルの問いは続く。
「公爵様の次に、皇帝継承権を所持しているのはどなたです?」
「いません。実はこの国の帝政は、かなり先細り状態なんですよね。ニール様とアイゼン公が、かろうじて残っているアリエス帝の末裔なんですよ。唯一の救いは、お二人とも十八と、まだ歳がお若いということです。これから御世継ぎが誕生するかもしれないですし……」
 ジルは、ロビンの説明を淡々と頷きながら聞いている。
 もちろんニールセンにはちんぷんかんぷんな話だ。いつの間にか話の輪から外れてしまっている。
 ジルはさらに尋ねた。
「もし仮にですよ。陛下にお世継ぎが誕生したら、継承権はどうなりますの?」
「え? ……仮に、ですね? そうすればその子供が継承権第一位になります。そして、その母である方が第二位を持ち――アイゼン公はその時点で第三位へと下がります」
 恐らく、君主制の国家であればどこも同じような仕組みであろう。現に話を聞いていたジルも、ロビン少年の説明は予想通りだったようだ。
「とのことですよ、陛下?」
 ジルがはにかむような笑顔で同意を求めるが、ニールセンにはジルの意図するところがまったく読めていなかった。
「余はあまり難しいことは分からぬぞ? 余が死ねばヴィンレットが皇帝だ――ということは存じておる」


「わたくし、明日、新宮へ参りますわ」
 皇帝の住まいである新宮へ、ジルが出向くのは二度目だ。
 ニールセンにとって、願ってもないことである。なかなか自分からはジルのもとを訪ねられない、恋愛に関してはヴィンレットの手技の一割にも満たないほど、超・奥手であるのだから。
「おお、遊びに参られるか。では、明日は執務を取り止めにしようではないか」
「訳分からないこと言わないでください……執務は執務ですよ!? いいですね? ニール様もジル様も」
「いいえ、そうではありませんの」
 ジルが首を横に振ってみせた。
 そうでは、ない――とは?
 ニールセンとロビンは顔を見合わせ、ジルの次なる言葉を待った。
「わたくし、陛下と住まいを共にいたしますわ」
 ジルのそのひと言で。
 皇帝陛下、音もなくふらりとロビン少年の膝の上へお倒れあそばした。
 突然の出来事にロビンは慌てふためき、そのままお輿の床板へニールセンの身体を落としてしまった。
 失神、そして多少流血――。

「ニール様っっ! し、し、しっかりしてくださいぃぃぃぃっ!! というか、ジル様! ええっ??」


 ヴィンレット・アイゼン公爵の皇位継承権が下がる日も、そう遠くない話なのかもしれない――。




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