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皇帝嘲笑(2)  
 その日の午後の宮廷に、大臣をはじめとする元老院の「お偉いさん」が、臨時会議のために招集された。

「忌々しき事態ですぞ! ピンガ殿!」
 何やら宮中で、一大事が発生したようだ、という噂が大臣たちの間を駆け巡るが――正確な情報を掴んでいるものは誰もいなかった。
 いや一人、――ピンガじいを除いて、である。
 もうじき国家を挙げての行事「第三代アリエス帝一年忌」がやってくるというこの大事なときにと、皆いっせいに頭を抱えた。
「あのワガママ娘と来たら……国家予算を湯水のように使うわ、世継ぎをなす努力をするどころか一日で別居するわ、先帝の一年忌に私的感情で出席しないなどとのたまうわ、……よいのは見てくれだけでしたな、ピンガ殿」
 責任を問う視線が、ピンガじいのハゲ頭に突き刺さる。
「……見てくれも大事であろう?」
 何とか言い訳を試みるも、まるで説得力がない。
 大勢の大臣たちを目の前にして、ピンガじいはひたすら小さくなっていた。
 肩身の狭いことこの上ない。
 ジルを皇帝ニールセンの后として迎えると決めたときに、率先して動いていたのは他でもない、このピンガであった。
 見目麗しき皇帝アリエス家の血筋にはやはり美しき血をと、単純に考えた結果でもあったのだが……。

 とある大臣が、これ以上仕方がないといった風に、円卓についていた元老院のメンバーをぐるりと見回した。
「よい機会だ。隣国からの内々の申し出、受ける方向で話を進めてはどうかな?」
 議場は一瞬静まり返った。「まさかの禁忌事項」を議論採択する時期が来ようとは、誰も予想していなかったに違いない。
 そう、昨日までのニールセンとジルの仲睦まじい様子では、相手にする必要なし、と論議もしていなかった「隣国からの内々の申し出」。
 議場はにわかにざわつき始めた。
「内々のと言いますと……例のアレですかな?」
「陛下には何と申し上げるのだ」

「別な后をお連れ申すと――もっと美しくもっと聡明な、そしてもっと分別のある姫御をな」
「賛成」
「賛成」
 次々と右手が挙げられていく。
 ピンガじいはますます小さくなるばかり。

「うわわ……大変だ、こりゃ」
 ドアの隙間から会議の様子を窺っていたロビンは、この先訪れるであろう嵐を予感し、例えようもない不安に襲われていた。



 それから三日あまり、冷戦状態が続いた。
 まさに冷戦。城内は恐ろしいほど静まり返っている。
 皇帝ニールセンのいる新宮も、広大な中庭を挟んだ皇后ジルのいる西宮も、重苦しい空気が立ち込めている。

 先帝の一年忌は明日である。

 珍しく淡々かつテキパキと、日常の皇帝執務をこなしたニールセンは、うかない顔でため息をついていた。
 意地を張っているのは傍目から見ても明らかだ。
 ロビンは決裁した書類を整頓しながら、言うべきか言わざるべきかひたすら悩んでいた。
 しかし現状を打開するためには、なぜジルがニールセンの寝所ににラスビーを入れたのかという『理由』を本人に教えなければなるまい。
 今回の一件は明らかにニールセンの『無知』が引き起こしたものだからだ。

 もちろんニールセン一人を責められない。
 教育係であるピンガや、側に控える小間使いのロビン少年にも責任はある。
 ニールセンに教えていなかったというのはもとより、皇后ジルにニールセンの『無知』を伝えなかったことが、そもそものすれ違いの始まりなのだ……。
 しかし、どう話を切り出してよいものやら。
 ロビンは悩んだ挙句、本題をすっ飛ばし、ロビンなりの結論をぶつけた。

「ジル様に――頭を下げてください、ニール様」
 執政机に肘杖を付いたままのニールセンの顔を、ロビンはうかがうようにして見た。
 皇帝陛下持ち前の美しく透き通った深い青の瞳が、落ち着きなく動いている。動揺を隠しきれていない。
「なぜ余が頭を下げねばならぬ? 余はこの国の皇帝ぞ?」
 もちろんニールセンは納得がいかない様子だ。

 そこへピンガじいがやってきた。
 いつものしゃがれ声を張り上げて、執政室の中へと入り込む。
「もちろん下々の者どもに頭を下げる必要はございませんぞ。しかし、皇后とあらば話は別――」
 外で立ち聞きでもしていたのか、ピンガじいは突然会話に入ってくる。
「そもそも陛下、后を娶ったのはお世継ぎのご誕生を切に願ってのこと……というのは忘れておりませんでしょうな?」
 ニールセンの目の前にはロビン少年とピンガじい。
 いつの間にか両脇から責め立てられる格好になっている。
「忘れておるどころか、そのような話、端から聞いておらぬわ」
 ニールセンはツイと顔をそむけた。二人から頭を下げろ下げろと攻め立てられ、どうやら機嫌を損ねたらしい。
 ピンガはニールセンの子供じみた態度に半ば呆れ、ため息をついた。
 なるべく穏便にことを済ませようと思っていたが、そうもいかないらしい。
 ピンガは言いにくそうにして皇帝陛下へ告げた。

「このまま世継ぎが誕生する見込みがないのであれば、陛下には別な后をめとわせねばならないというのが、元老院の長老会議での結論ですぞ」

 ニールセンの表情が一変した。
 唖然とし、じいの顔を振り返り食い入るように見つめている。

  ――なにやら聞き捨てならない一言をいま、このじいは口にした?

「別な后とな? ……な、な、何を言うておるのじゃ? では、皇后はどうなるのじゃ!?」
「皇后不適格として、出戻ってもらうことに――なりましょうなあ」

「いやじゃ」
 ニールセンは、両コブシで執政机を力任せに叩きつけた。
 相当痛かったらしく、あおおおぅ、などと情けない声をあげ、椅子から転げ落ち床上をのたうちまわっている。
 ロビンは急いでニールセンを助け起こしながら、なおも説得を続けた。
「でしたら! お願いですから、ジル様に謝ってください、ニール様!」
「いやじゃ」
「明日行われる先帝の一年忌に、連れ立って出席なされば元老院の方々も思い直します! ジル様を説得してください!」
「悪いことなど何もしておらぬというのに、なぜ余が皇后を説かねばならぬのじゃ?」
 ニールセンの態度は頑なだ。頭に血が上ってもはや冷静な判断力がなくなってしまっている。
 もはやじいは説得するのを諦めたようだ。
「では、別な后でよろしいんですかな?」
「何なのじゃジイもロビンも! 余はもう何がなんだか訳が解らぬ。もうよい下がれ、下がらぬか!」

 ――悪いことなど、何もしておらぬ。

 ピンガじいとロビン少年は互いに顔を見合わせ、ニールセンの悲痛な叫びをただ聞く他なかった……。



 謁見の間控室では、ヴィンレット・アイゼンがピンガじいを待ち受けていた。
 明日執り行われる先帝の一年忌の打ち合わせにきた「ついで」のようだ。どちらがついでなのかは不明だが……。
 先帝の歳の離れた末弟にあたるヴィンレットにとって、一年忌は実子のニールセンと同じくらい重要な催事だ。
 いつものように一部の隙も与えず身なりを整え、爽やかな空気を纏わせている。そして優雅に、好物の花茶を宮廷使用人に給仕させ、まるで我が家のようにくつろいでいるではないか。
 ピンガはヴィンレットの顔を見るなりため息をついた。

 この公爵の青年の相手をするのは、いろいろな意味でピンガは疲れるようだ。
 自分の孫と年の変わらぬ若造でありながら、その地位は皇帝に次ぐナンバー2なのである。
 ヴィンレットのその、皇帝を軽んじる生意気な態度を一喝してやりたいこともしばしばなのだが、――必死にこらえているのが現状だ。
「で? ピンガは陛下に申し上げたんですか?」
 ヴィンレットの質問に、ピンガじいは立ったまま答えた。
「ジル殿が皇后不適格として、新しい后を娶らせることは説明申し上げたが……いつもの癇癪を起こし暴れておる。とりあえずロビンに任せてきたのだが……お育て方を間違えてしまったかな。ああ、苦労が耐えぬわ、ハゲの進行も食い止らぬわ……」
 ピンガのもっともらしい説明に、ヴィンレットは目を瞬かせた。
 そしてロビン少年に同情するように、肩をすくめてみせる。
「そうではなくて。結局のところ、言えてないのでしょう? あなたたちときたらだらしのない――。今のままではいくら新しい皇后を娶らせたって、行く末は同じですよ? 世継ぎなど生まれるはずがない。皇帝家の血筋が絶えるのは時間の問題ですよ」
 ヴィンレットは物憂げにため息をついてみせた。
「ジル殿もお可哀想に……だから初めから僕と一緒になっていれば、このような屈辱を味わわずに済んだものを」
 今更言ってもどうにもならないこと――それでもヴィンレットは口にしないと気が済まないらしい。

「ではどうしたらよいというのだ、おぬしは?」
「はっきりと言えばいいんですよ、陛下に。申し上げにくいのでしたら、この僕が――」
「ええい、よさんか。もうよいのだ」
「よいって、何がです?」
「隣国はユアン国と同盟を結びたがっておって、先方はジル殿を条件に出してきておられるそうな。つまりじゃな、我が国に借り入れたお金は全て返済するから、ジル殿を返してくれないか、と」
 近隣諸国の社交界に精通しているヴィンレットにとっても、それは初めて聞く話だったようだ。
 明らかに驚きを隠せないでいる。
「今度はユアン国に支援してもらうと? その条件にジル殿を? はははは、ジル殿は既に我が国の皇后ですよ? 簡単にことは運ばないでしょうに」
 ヴィンレットは貴族の戯言に過ぎない、と楽観した態度を示していたが――。
 続くジイの説明で、状況は一変した。
「……元老院は既に申し出を受けた。皇后様不適格の決定を下し、隣国へ戻ってもらうことに……」
 まさか元老院がそこまでやるとは、ヴィンレットも考えていなかったらしい。ジイの言葉に、明らかに面食らっている。
 普段の落ち着きはどこへやら、若き公爵は珍しく取り乱した様相で、目の前のピンガじいを怒鳴りつけた。
「受けたですって!? あ……あなたたちはなんという真似を!」

 『皇后不適格』――などと。
 ジルにとってそれは、屈辱以外の何物でもない。

「皇后は金食い虫であることをアイゼン公もご承知のはず。それを我慢するのも、この帝国の繁栄を、世継ぎを望めばこそ、なのですぞ」
 ピンガの勢いに押され、ヴィンレットは続く言葉を失ってしまった。
 ジルが並々ならぬ金食い虫であることは、ヴィンレットも認めるところだ。
 上手く扱わねば隣国のように財政が傾き、帝国が滅びることにもなりかねない。

 しかし。
 それはそれ、これはこれ。

 一番大切なことが何かということに、この頭の硬い連中は恐らく気付いていない――。


「そんなこと言って――世継ぎどころか、あいつ……本当に『死ぬ』と言い出しかねませんよ」
「言うだけなら痛くも痒くもない。陛下のは、どうせ口だけだ」
 さすがはジイ。ニールセンの行動を見抜いている。
 しかし、いつだって例外は付き物。
 何かあってからでは遅いということが、このジイにはわからないのであろうか。
 ヴィンレットは徐々に怒りがこみ上げてきたらしい。
 ニールセンのためというよりジルの身を案じてなのだが、それより何より、ピンガを始めとする元老院のやり方に、腹を立てているようだ。
「元老院の方々と来たら、まったくニールセンのことを解っていらっしゃらない! 本当にあいつのことを思ってやっているとは考えられませんね」
「……おぬしが言うセリフではなかろうに。とにかく元老院の決定は絶対であることはアイゼン公もご存知であろう。ジル殿には本日中に隣国へ向けて出発してもらう」
「今日? 陛下には伝えたのですか? せめて明日の一年忌に出席なさるかどうか待ってからでも遅くはないのでは? 僕がジル殿を説得しますから!」
 ヴィンレットの必死の言葉も、もはやジイの耳には届かない。
「無駄じゃな。もはやこれまで。元老院の決定は覆らない――」

 ニールセンの「無知」が、ジルの「ラスビー」が。
 若い二人の、ちょっとしたすれ違いで終わるはずの事が。

 まさかこんな結末を迎えてしまうとは……。


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