喜多川家。
町内でもとにかく有名である。三年前、両親が他界し、現在は三人兄弟が仲睦まじく暮らしている……。
長兄の名は、喜多川椿(つばき)。二十五歳の商社マンだ。長身で体格もよく、すこぶるさわやかだ。古きよき日本男児の風格をたたえた、今や喜多川家の大黒柱である。
コスモスコーポレーションに入社してわずか三年で、主任に昇任した。
主任とはいえ、係長どころか課長補佐をも凌ぐ仕事っぷりは、重役のおぼえもめでたいほど。
そんな、喜多川椿の、とある日の午後――。
「しゅにん! ハッピー物産・堂島様からお電話です」
女子社員の言葉に、喜多川主任は神業とも言えるスピードで受話器を取った。
「遅いですよ。至急折り返しお電話いただきたいと、そちらの事務のかたに再三申し上げたはずですが。……そちらの都合は私には関係のないことです。先日お願いした商品、明日までに三千個揃えて下さい。……無理? 努力もしないうちから『できない』『無理』なんて、言い訳は聞きたくありませんよ。では、明朝七時に二十六番倉庫まで。……これが最後の取引にならないよう、願いますよ。では失礼いたします!」
「喜多川主任、ご自宅からお電話ッス」
童顔の男性社員が、電話を喜多川主任につないだ。すると、主任の表情が一変して、柔和になる。
「どうしたんだい、キョウ。……ああ、……そうか。今日は水曜日だから早く帰れるから。心配しなくていい。夕飯は何がいい? ハハハ、いいんだよ遠慮しないで、お兄ちゃんに任せろ。……了解。ちゃんと鍵掛けて、待ってるんだよ。それじゃ」
「ええと、菖蒲の番号は……これだな」
喜多川主任は電子手帳を取り出し、アドレスを検索する。
グループ《家族》にカテゴリされた『菖蒲』の名前。滅多に妹なんかに電話を掛けたりしないので、番号はいつもうろ覚えだ。
出てきた数字の羅列をすぐに頭に叩き込み、すばやく番号を押す。
「……俺だ、椿だ。……あぁあ? ……何だその態度は。用事があるから掛けたに決まってるだろ! テメー、いっぺんシメてやらないと分からないらしいな。……帰りに白菜と椎茸とシラタキを買って来い。つべこべ言うんじゃない! 少しは女らしい言葉遣いをしたらどう…………ちっ。切りやがった」
「主任、森本さんからお電話はいってますよ」
ベテランOLが、喜多川主任に声を掛けた。
森本は、喜多川の下についている男だ。歳は一つしか変わらないが、扱われ方は『犬』同然である。
「ああ森本、丁度いい! お前今どこだ? クレーム処理三件目? そりゃご苦労さん。ところで今日、うちに夕飯食いに来ないか? 『肉持参』だぞ、いいな。……え? 牛だよ牛! できれば国産で。お前も入れて全部で六人分だ。……何で俺が女子社員を誘わなければならないんだ。森本は黙って六人分の牛肉を持ってくればいいんだ。男だけで鍋囲むのもいいもんだ。……は? 菖蒲は女のうちに入るか! 弟の方がよっぽど妹らしい。……それじゃ定時に戻って来い。いいな」
「しゅにーん! 経理課から内線ですうー」
アルバイトの大学生が、内線電話を取り次いだ。フロアいっぱいに響き渡るような大きな声だ。
その呼び声に、ピクリと反応した後、喜多川の動きが止まった。
「……席を外していると、言ってくれないか」
冷静を装っているが、明らかに動揺している。
「ええ? いるって言っちゃいましたよ」
観念したのか、しぶしぶ受話器を取った。
「今、忙しいんだミサキ。話なら後にしてくれないか。……湯河原部長に怒られた? 俺のせいだって? ……知らないよそんなこと。というか、君が見たいと言ったんじゃないか。……今更冗談だったなんて、なんでも冗談とか遊びだとかで済ませられると思ったら大間違いだ。……おいおい、泣くなよ。経理課のみんなもいるんだろう? 分かった、俺が悪かったよ。ごめん、言い過ぎた。な、機嫌直してくれよ、ミサキ…………? うわ!」
気づくと喜多川のデスクの後ろに、いつの間にやら人だかりができていた。
いつも電話を取次いでくれている、同じ部署の面々である。
「何なんだ、君たちはっ!?」
「いや、……人格の切り替えが、見事だなーって」(一般OL)
「時々、うらやましいッスよ……」(童顔男性社員)
「どこかに切り替えボタンがついてるのかしら? あははは」(ベテランOL)
「で、で、で、しゅにーん? 経理課の美咲さんとは、どういう関係なんですかぁ?」(アルバイト大学生)
四人の顔を順々に睨みつけ、喜多川椿は一喝!
「さっさと自分の席に戻りなさい! 暇人どもが!」
(了)
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