湯河原部長のデスクの電話が鳴った。内線ランプが点滅している。
秘書室からだ。
「? はい湯河原ですが…………分かりました、では手の空いているのをそちらへやります。ハイ、ご苦労様」
受話器を置くと、湯河原はフロアを見渡した。
「喜多川君! こっちへ来てくれ」
「俺はあいにく、手が空いていませんが」
喜多川は意地悪く言った。この上司は虫が好かない、というやつである。
「なんだ、訳も聞かずに断るなよ。どうやら君が適任なようだから」
「……訳だけなら聞きましょう。で? 秘書室からなんて?」
「社長室の蛍光灯が切れたので、交換して欲しいそうだ」
喜多川は呆れたような声を上げた。
「そんなの庶務課の仕事でしょう。何でウチらにそんな雑用が回ってくるんですか」
「社長が十五分ほどで戻られるそうだから、それまでに取り替えたいんだろう。うちのほうが社長室と同じフロアで近いんだし……」
庶務課は一階、喜多川たちの外商部は五階にある。
そしてなぜか、社長室は五階の奥に位置しているのだ。
「……訳は伺いました。では、他のもっと暇そうなやつをつかまえてください」
「喜多川君がうちの部署で一番背が高いだろう。蛍光灯の交換にぴったりじゃないか」
短絡的な理由だ。
喜多川はため息を吐きつつ、なおも言う。
「どうせ脚立がありますよ。むしろ小柄で身軽なほうが、都合いいんじゃないですか。おい、森本! 行ってこい」
喜多川の隣に座っていた後輩に、無理やり押し付けようとした。
しかし当の森本は、いたって嬉しそうだ。
「ええ? いいんですか? いやー主任、社長室なんて滅多に入れないですよ? 面白そうじゃないですか。僕、やりますよ部長!」
五分後。
フロアのどこかで、ガラスの砕ける派手な音がした。
「喜多川君……今のはもしや」
部長と主任が、とっさに視線を合わせた。
何やら嫌な予感がしてくる。
「社長室、でしょうね……俺、ちょっと様子見てきます」
社長室の開いたままのドアの前で、秘書が驚きのあまり口を抑えたまま、言葉も発せずに固まっている。
「どうしました、杉山秘書?」
喜多川が声を掛けると、秘書課主任がようやく我に返った。
「え……あ……も、森本さんが……どうしましょう!」
なんと森本は脚立から足を滑らせ、社長室の床に横たわってうめいている。
辺りはガラスの破片の海。その上に落ちたらしい。
「何てことだ……こりゃ一大事だ、おい森本!」
喜多川はすばやくそばへ寄り、森本の上半身をそっと、抱え起こした。
いつになく主任の優しい振る舞いに、森本は感動しているようだ。
しかし。
「杉山秘書、早く! 森本の下の、大きい欠片だけでも集めてください! アロン○ルファで取り合えずくっ付けときましょう」
「でも喜多川主任、元通りに修復している時間は……」
「諦めるのはまだ早いですよ。俺に任せてください。森本! さあ、接着剤を調達して来い!」
喜多川は強引に森本を立ち上がらせた。細かな破片が絨毯の上に降りかかる。
「心配なのは僕じゃなくて……そっちなんですかぁ。……ううう」
森本の泣き入れにも耳を貸さず、喜多川は絨毯の上に散らばる細かな金属部品を、すばやく集めて回る。
「このアンティークの洋燈、ナントカ伯爵家のいわくつきの一品で、お前の年収、軽く超える逸品だぞ……?」
喜多川の説明を聞き、森本は飛び上がった。身体の痛みはいっぺんに吹き飛んだようだ。
「あわわわっ! なっ、何でそんなものが社長のデスクの上に、しかも無造作に置いてあるんですかぁ!?」
森本の問いに、杉山秘書は説明をする。
「最近、社長はアンティークに凝っていらっしゃるんです。特に明治・大正あたりの華族ものに目がないご様子で……」
「いつでも手元に置いといて、鑑賞したいということなんだろう。…………? ああ、これ…………」
部品を一つ一つ確認していた喜多川が、手を止めて、何やらじっと考え出す。
「どうしたんですか主任? 早くしないと社長、戻ってきちゃいますよ!?」
しかし喜多川は、態度を一変。
「森本お前、やっぱり切腹覚悟で社長に土下座しろ」
「期待させておいて、いまさら無理とか言うんですかー!?」
森本は、顔面蒼白である。
そりゃ気の毒なほどに……。
すぐに社長は戻ってきた。
室内の様子を見て、当然のことながら、烈火のごとく怒り出す。
「杉山君! いったいこれはどういうことかね!?」
「しゃ、社長! 申し訳ありま……」
「外商3課、森本優司です! この度は僕の不注意により、社長の大切なアンティークをををっ! 申し訳ございませんでした!」
杉山秘書の言葉をかき消すように、森本はありったけの声量で言い、社長の足元へ土下座した。
「そもそもどうして、君が私の部屋にいるんだ! 外商部と言ったな? 今すぐ湯河原君を呼びたまえ!」
思い切り、疑われている。
社長の怒りはとどまることを知らない。
森本は、社長の剣幕に震え上がっている。
その修羅場に、後ろから颯爽と出てきたのは、喜多川である。
「同じく外商3課主任、喜多川椿です。秘書室から社長室の蛍光灯を取り替えるよう依頼がありまして、湯河原部長は私に指示を出したのですが、それをこの森本に押し付けてしまったのは私です。森本に非はありません! 私がすべての責任を取ります」
「しゅっ、主任?……うううううっ」
森本がこらえきれずに泣き出した。まさに男泣きだ。
喜多川の明快な物言いに、社長の怒りは少しずつおさまってきたようだ。
「蛍光灯……? 杉山君、本当か?」
「は、はい……社長がお戻りになられる前にと思いまして、庶務課でなく外商の方にお願いしました。私の勝手な判断でした、申し訳ございません!」
「いいえ、杉山秘書にも責任はありません! 社長」
喜多川は、社長の目をまっすぐ捉えている。
社長は、そんな後輩をかばう喜多川と、土下座しながら泣いている森本の顔を交互に見て、やがて憑き物が落ちたように穏やかな顔になった。
そして、泣きじゃくる森本に手を差し伸べる。
「頭を上げなさい。……君は幸せものだ、いい先輩を持ったな」
「? 社長!? ……ううううっ」
森本はだらしなく泣き続けている。
「喜多川君といったな」
「はい」
「君のような勇敢で仁義に厚い男は、いまどきの若い者にしては珍しいな」
「恐れ入ります」
喜多川は深々と礼をした。
そこへのこのこやって来たのは、湯河原部長である。
「社長、お呼びでしょうか? ややっ…………何なんだこの有様は……森本君、何てことしてくれたんだね! 満足に蛍光灯一つ取り替えられんのか!?」
社長室の惨状を見て、湯河原は疑いもせずに、森本青年を責め立てる。
その様子をじっと見ていた社長は、ゆっくりと言った。
「湯河原君……君は」
「はいっ! 何でしょう社長? 森本には始末書を書かせますし、厳罰に処します! 責任は取らせますので……」
「君はどうやら、管理職に向いていないようだな」
「は? えっ、いやそれはどういう……?」
湯河原部長は動揺し、取り乱している。
その横で。
喜多川は誰にも見えないように、小さくガッツポーズをしてみせた。
給湯室で。
ウワサ好きの女子社員三人が、話に花を咲かせていた。
「ちょっと聞いた? さっきの社長室での一件!」
「五百万もする社長のアンティーク壊した森本君を、喜多川主任が身を呈してかばったんでしょ!? 相変わらず、やることが男前よねぇ」
「『私がすべての責任を取ります!』だって! その場にいて聞きたかったー」
二人が喜多川の武勇伝に歓声を上げている。
「ミサキ、それが例の五百万?」
それまで話に加わっていなかったミサキが、ゴミとして回されてきたアンティーク洋燈の残骸を、紙袋から出して物色する。
「壊れちゃったら値打ちなんてないよ。……へえ、こんなものが五百万もするんだー…………あれ!?」
「どうかした?」
「あ、ううん、なんでもない。怪我するといけないから、あたし捨ててくるね」
欠片をあわてて紙袋に戻し、倉庫の隅のダストボックスへ持っていくことにする。
「悪いねーミサキ。お願いね」
「『私がすべての責任を取ります』……か。ほんっと、策士なんだから、椿さんったら」
彼は知ってて、あえてあのような行動をとったのだ、と確信した。
ミサキが持っている、ガラスの破片が詰まった袋。
彼女は真実を見てしまった。
一つの破片に刻まれた、小さな小さな文字。
────『レプリカ』。
(了)
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