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07 水蒸気  喜多川家の陰謀
 昼休み。

 菖蒲が持ってきた弁当の包みを、カバンから取り出した。
 自分の手作りだ。何が入っているか分かりきっている。
 わくわくもなにも、あったもんじゃない。

 兄貴は社会人なので、昼は外食。
 弟は中学生で、学校給食完備。

 高校生の菖蒲だけが、毎日弁当持参なのだ。自分で自分のためだけに作る弁当。
 それでも菖蒲は、お弁当作りは手を抜いたことがない。パンで済ませるなんてもってのほか、学食を利用したことだってない。
 もちろん、無駄なお金を使わないためである。

 さて、その包みを解こうとした、まさにそのとき。
「アヤメ」
 後ろのほうで、恐ろしく張りのあるドスのきいた声がした。
 教室内が一気に、静まり返る。
 名前を呼ばれた張本人も、声のする後方ドアのほうを振り向けずにいた。
 この声。そして、呼び捨て。
 ……あいつしかいない。

「メシ、食いに行くぞ。早くしろ」
 教室内が、なんだかどよめいている。不穏な空気。
 当たり前だ。
 そこに立ちすくむはあの、桜井知宏。
 この学校をシめてる『インテリやくざ』である。
 後ろには、これまたコワモテの舎弟二人を従えている。
「……何であたしがあんたと昼飯食わなくちゃならないんだよ。学食なら一人で行きな」
「喜多川菖蒲! 貴様あああっ!」
「桜井様になんという口のきき方をするんだ!」
「よせ、青島。白崎」
 桜井は、片手で背後の舎弟を制した。すると二人は途端に静止し、元に戻る。
 よく、しつけが行き届いている。
「なに? なんなの? この、時代錯誤なオトコたちは!?」
 菖蒲がそう言うと、桜井は無言で笑っている。
 こういう態度が気障ったらしいのだ。
 ただでさえ、フランス人の血が混じっていて、日本人は持ち合わせていない、彫りの深い顔立ちだ。
「俺のことがキライか?」
「……いや、べつに」
 これは本当だ。
 確かに問題はいろいろあるが、それでも背は高いわ、顔は男前だわ、成績優秀だわ、素質だけ見たら極上品である。
「だったらいいだろう、一緒にメシ食うくらい」
「は、恥ずかしいだろうが!」
「そうなのか? なんなら、阪東も連れていこうか? ……おい」
 桜井は指をぱちんと鳴らした。
 すると、それを合図に舎弟二人、青島と白崎が猛然と廊下を走り去っていく。
「ちょっと! 手荒に扱わないでよ!? 達也はあんたたちと違って、ひ弱で軟弱で根性なしなんだからな!?」
 そう、菖蒲が言い終わらないうちに。

 ひいいいと、どこか遠くで男子生徒の悲鳴がした。


「で? どうしてこうなるんだよ、桜井?」
 桜井と菖蒲は向かい合うように座らされた。
 ここまでは、不満もあるが、まあ許そう。
 菖蒲の両脇には舎弟二人、青島と白崎ががっちりと固めている。
 いや、よくよく見渡すと、長テーブルすべてが桜井の手下『桜組』の連中だ。後ろの長テーブルも、向こう側のテーブルも。
 広い学食の、実に四分の一を占有しているではないか。

 そのど真ん中に桜井と菖蒲がいた。
 そして、イトコの阪東達也。母親が作った弁当を持ってきている。桜井の舎弟たちに半ば引きずられるようにして連れてこられ、言葉を発する力も残っていないようだ。
「なんだアヤメ、二人きりで食べたかったのか?」
「さっきの話の展開じゃ、桜井と達也とあたしと三人じゃなかったのかよ?」
 桜井はまたもや黙ったまま。ニヒルな笑みを浮かべている。
 いつだってその優秀な頭で、状況を冷静に分析してるのだ。

 そこへ、『桜組』の下っ端二人が、トレイに湯気立ち上る皿やどんぶりを持ってやってきた。
「失礼します! 桜井様、B定食になります」
「失礼しまッス! 青島様、激辛四川ラーメンにカレーライス。白崎様、キムチチャーハンにスパイシーチキン5ピース。以上です!」
 ありえないぐらい、ものすごい湯気が立っている。
 菖蒲の向かい側と、両脇からいっせいにたなびいてくる。

「よくもまあ……昼間っからそんなもん食って、暑苦しいよ! もっと普通のもの、頼めよ!」
 菖蒲が両脇の舎弟に鋭くツッコんだ。
 すると、向かいの桜井が左手を上げ、ぱちんと指を鳴らす。
「湯気がこもって暑い、あおげ」
「「「「「押忍!」」」」」
 菖蒲たちを取り囲むように座っていた『桜組』の連中がいっせいに立ち上がった。
 めいめいがトレイやら自分の上着やらであおぎ始めたからたまらない。
 学食につむじ風が吹き荒れている。

 そんな状況もお構いなしの、『桜組』上層部(?)たち。
「辛ええええ! 旨ええええ!」
「止められねええええ!」
 両側の舎弟は滝のような汗を滴らせながら、食べ物にがっついている。
 それに比べりゃ、桜井のなんと優雅なことか。
 湯気立ち上る本日のB定食「白菜とベーコンのクリーム煮」を、スプーンで上手く口に運んでいる。
「桜井……白菜、好きなんだな」
「食うか? 旨いぜ」
 桜井は、スプーンをクリーム煮の器につっ込み、トレイごと菖蒲のほうへ押しやった。

(桜井の食いかけ!? どうすんだよこれっ!)

 桜井の行動に、どうしていいのか分からず、戸惑ってしまう。
「いらねえよ……。あたし、弁当あるから」
「それは俺が食う」
「や、やめろよ! そんな、人に食わせるために作ってないんだよ!」
 菖蒲が弁当を守ろうと手を伸ばした。すると舎弟たちに両方の腕をがっちり押さえ込まれてしまう。
「こらこらこらこらーっ! 何するんだよ!」
「桜井様が食ってやると言ってる」
「ありがたく思え」
「そんな、汗だくのヤロウに言われたくねえよ! 離せっ、お前ら、暑苦しいんだよ!」

 抵抗むなしく、菖蒲の弁当は桜井に奪われた。
 玉子焼きを素手でつかみ、口の中へと放り込む。
「うん、旨い」
 桜井がそう、つぶやいた。

 とたんに暑くなる。熱い、かもしれない。
 汗だくの舎弟たちのせいか、それとも……桜井のせいなのか?

 自分の作った弁当を、当たり前のように食べている桜井の姿を眺め、……菖蒲の中で、何かが崩れ落ちていくのを感じた。
 差し出されたB定食のクリーム煮を、菖蒲は一口だけ、食べた。
 暑い。暑い。熱い。
 身体が熱くてしょうがない。

 ますます学食内の体感温度は上がっている。
 それは、『桜組』あおぎ部隊の、ゼイゼイという息切れの音の増加とともに……。





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