土曜日の昼下がり、喜多川家のリビングにて。
長兄の椿がソファに横になり、ビジネス雑誌をめくっていた。
静かである。
妹、菖蒲は遊びに出かけたらしい。弟の桔梗は部活動の練習のため、土曜日なのに中学校へ行っている。
椿の勤める会社は、週休二日だ。休日出勤も珍しくないのだが、今日は久々に何も予定のないオフとなった。
ひとり静かに優雅な午後を過ごしたい、そう思っていたのだが……。
「ちょっと聞いてよ、椿さーん。やっぱり桜井君って凄いんだなって、僕ホント感心しちゃったよー」
キッチンからトレイ片手に姿を見せたのは、阪東達也だった。
喜多川三兄弟にとって、母方のイトコにあたる少年だ。
同じ市内に住んでおり、ヒマさえあればしょっちゅう喜多川家に出入りしている。もっとも、達也が生まれたときからそんな調子なので、家族同然の付き合いだといってもいい。
「そりゃ、たいしたもんだな。あの菖蒲を一週間かからずにオトすとは……」
椿はソファから身を起こした。そして、簡単に髪の乱れを整える。
達也は、淹れたてのコーヒーをテーブルに置き、椿の前に押しやった。
「僕、初めて見た気がするよ。あんな女の子してるあっちゃんなんて、気味悪くてさあ。ていうか、意外にさ、桜井君もなんか慣れてないって感じするんだよね。見た目バリッと決めてるけど、すぐに僕を呼びつけてさぁ、場をもたせようとするし。僕は鋭いんだよ!? ははははは」
相変わらずテンションが高い男だ、と椿は思った。ただ、それを顔には出さずに黙ってコーヒーをすする。
「で? あの二人はどんな付き合いなんだ?」
達也が唯一の情報源なのだ。妹と同じ歳で、同じ高校に通っている。
自分が仕事をしている間、菖蒲と時間を共有しているのはこのイトコ。
「やだなあ、椿さん。娘の彼氏が気になるパパみたいだよ」
達也はひょろっとした身体を揺すりながら笑った。
仕方のない話だ。
両親が他界して久しい。椿が、妹と弟を養っているのだ。
知らず知らずに保護者のような言動になっているのか。
「別にそういう意味じゃない。……むしろ逆だ。あの菖蒲に『男と女』のまともな付き合いができるのか心配…………いや、好奇心で一杯だ」
「うわー、さすが椿さん、大人の発言だなあ」
そんなのん気なことを言っている場合ではない。
「仕方ない。可愛い妹のために、一肌脱ぐとするか……」
椿はコーヒーを一気に飲み干し、カップをテーブルへ戻した。
どうやら、何かを思いついたようだ。
「一肌脱ぐって? どうするの?」
「達也、お前の協力が必要だ。俺の言うこと、聞けるよな?」
ノーと言わせない、すさまじい迫力だ。
達也はただならぬ気を感じ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ええ? そりゃ聞くけどさぁ、……ねえ、それってなんか悪ダクミなんじゃない? 椿さん、目が怖いんだけど」
「ちょっと、耳を貸せ」
椿は達也の頭を引き寄せた。
そして、コソコソとなにかを囁いた。
「え? えええっ? ええええええーっ!」
「金のことは心配するな。俺に任せろ、いいな」
「ホントにいいの? ……じゃ、桜井君に言っとくから。再来週の土日、一泊二日ね?」
達也はその辺の紙切れに、すばやくメモした。
「くれぐれも、菖蒲には内緒だぞ。もし口を滑らせるような真似したら、お前の大好きなキョウがどうなっても知らないぞ」
口止めの材料にされたのは、なんと弟の桔梗だ。達也が天使とあがめるほど、『美少女』な末弟のことである。
「ははは、椿さんだって大好きじゃない、キョウちゃんのこと」
「だからキョウに、お前の悪口を吹き込んでやって、ショックを受けたところを俺が優しく慰める、という寸法だ」
「き、汚いよ……、それだけはやめてよー。あっちゃんには絶対言わないからー」
どんなにあがいたって、しょせん達也は、椿にかなうわけがないのだ。
「達也、勘違いするなよ。俺は、妹も弟も同じように愛しているんだ」
長兄・椿はそう言い、普段見せたことのないような柔らかい眼差しを、達也に向けたのだった……。
(了)
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