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11 寝言  喜多川家の陰謀
 深夜。
 だだっ広い外商部のフロアに、二人の人間が残っていた。
「早々に帰りやがって……あのくそオヤジ」
 上司の風上に置けないやつだ、と喜多川主任はいつものごとく憤っていた。
 すると森本青年が、これまたいつものようになだめてくる。
「仕方ないですよ主任、初孫の一歳の誕生日なんでしょう? うちの両親もそうでしたよ。姉貴の子供、ありえないくらいの可愛がりようで。たまに帰っても、僕には全然関心なしって感じで。まあ、別にいいんですけどね」
 そもそもなぜ喜多川たちが、会社に泊まりこむ羽目になったのか。
 社長が海外へ商談に出かけたため、必要なデータをいつでも送れる状態にしなければならない、ということなのだ。
 それなら秘書課がその任を負うべきだが、やはり実質的な営業戦略データを扱っている外商部の人間が誰か残っていないと、緊急事態に対処できないと……。
「商談って言ったって、どうせゴルフ三昧だろうが。俺らの数字が必要になることなんか、絶対にありえない」
「そんな怖い顔しないでくださいよ主任。とりあえず、いるだけでいいんでしょう? テキトウにいきましょうよ」
 確かに森本の言うとおりだ。部下に仕事を押し付けてさっさと一人帰ってしまう上司を、いつまで責めていても仕方がない。
「森本、お前先に仮眠取れ。三時間経ったら起こしてやる」
 なにげにもう、十二時を過ぎている。
「分かりました。では遠慮なく」


 深夜二時。丑三つ時に差し掛かろうというときだ。
 突然、外商部のドアが開いたのだ。
 喜多川が驚いたのは言うまでもない。
「ミサキ! こんな時間に何やってるんだ!?」
 そこにたたずんでいたのは、経理課の女子社員だ。こんな時間に社内にいるのはありえない人物である。
 よくよく見ると、派手な私服に身を包んでいる。普段の制服姿からは想像もつかないほどだ。化粧も派手目で、大ぶりなアクセサリーで身を飾り立てている。
「例会の帰りなの。ここの前通ったら、明かり点いてたから」
「……まだそんなものに顔出してんのか?」
 喜多川のイヤミもどこ吹く風。
 ミサキは持っていた買い物袋を差し出した。
「はい差し入れ。ただのコンビニ弁当だけど」


「喜多川主任……食べちゃダメですよ……おなか……壊しますって」

 観葉植物で仕切られただけの応接エリア。そこのソファに横たわる森本青年の口から、紡ぎ出された言葉。
「森本?」
 しかし、返事はない。

「寝ぼけてるのか? あいつ……」
 それにしても、タイムリーな発言である。
「大丈夫よ、毒なんか入ってないから」
 確かに小腹は空いている。袋から取り出してみると、何の変哲もない幕の内弁当とペットボトルのお茶が出てきた。なかなか気が利いている。
 割り箸を口にくわえて、器用にぱちんと割った。
 
「椿さんもたまには来れば? みんな喜ぶと思うけど?」
 ミサキはじっと、喜多川が弁当を食べるのを眺めている。
「いい歳して、そんなことできるか……俺はもう二十五だぞ。しかも養わなければならん家族もいる。深夜の例会なんぞ、とっくに足を洗ったんだよ」
 器用に焼き鮭の小骨を取り、ご飯に載せては口に運んでいる。
「歳なんて関係ないでしょ? 正直、今のトップ、イマイチぴっとしないんだよねー。喝入れてやってよ、椿さん」
「今のトップって……誰なんだ?」

 足を洗って久しいのだ。聞いたところで判るまい、そう思ったのだが。

「『紅林』っていうオトコ。今、高三よ」
「くればやし……知らんな」
 やっぱり判らなかった。時代は動いている、そういうことなのだ。


「いつも……ギタギタにしてやるって、言ってたじゃ……ないですか」

「…………森本?」
 しかし喜多川の問いに、返事はない。
「おいおい、俺は紅林なんて知らないぞ……」
「森本さん、いったいどんな夢見てるんだろうね?」


「いい加減、ミサキちゃんに本当のこと……言ったらどうなんですか?」

 ミサキはここだけは聞き逃さなかった。
「本当のことって……? どういうこと?」
「寝ぼけてるんだ! いちいちとりあうなよ」
 なにやら怪しい雲行き。


「……俺のモノだって、言えばいいじゃないですかあ。……部長は、俺のモノだって」

「部長……『は』?」
 喜多川とミサキの、素っ頓狂な叫び声が重なった。
 二人は唖然としたまま、森本青年の寝顔を眺めつづけた。
 流れるのは、気まずい雰囲気――。


 時計の針が、三時ちょうどを指した。
「あ、主任……一人で弁当食べてたんですか? ふあああ、僕もなんか買ってこようかなあ」
 もうすでに、ミサキは帰っていった。森本は全く気付いていないようだ。
 喜多川はネクタイをだらしなく緩めた状態で、パソコンのトランプゲームに興じていた。
 まるで何事もなかったかのように。
「お前、なんだか楽しそうだったな……夢でも見てたのか」
「ええ? 夢は確かに見ましたね……、なんか盛りだくさんでしたよ。主任が焼き海苔の乾燥剤を仁丹と間違えて食べちゃって、大騒ぎになって……」
 ――喜多川主任……食べちゃダメですよ……おなか……壊しますって――
「間違えなくたって、仁丹なんか食わねえけどな……」

 森本はどんどん思い出しているようだ。
「死ぬ間際に、湯河原部長に看取られるんですが、『俺、本当は湯河原部長のこと、尊敬に値する人物だと思ってました』とか気味悪いこと言っちゃって……」
 ――いつも……ギタギタにしてやるって、言ってたじゃ……ないですか――
「別に、ギタギタにしてやるとも、言ってないと思うがな……」

 さらに森本は続ける。
「そしたらそこに経理の美咲さんが出てきて、湯河原部長の取り合いになっちゃって……いやあ、美咲さんも主任も血を見る争いで、あ、でも僕、ちゃんと主任のこと応援しましたよ!?」
 ――いい加減、ミサキちゃんに本当のこと……言ったらどうなんですか? ……俺のモノだって、言えばいいじゃないですかあ。
 部長は、俺のモノだって――

 森本青年の話をひとしきり聞いて、 喜多川は一応納得した。
 だが、しかし。
「最後のは、……そのまんまじゃないか」





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