今日はコスモスコーポレーション外商部の飲み会だ。
総勢二十名。ちょっした小宴会といったところだ。
しかも今日はいつも利用する大衆居酒屋ではなく、魚料理の旨い、地酒が豊富な高級感溢れる料理屋の座敷が会場となった。
会費は男性七千円、女性五千円。
安月給のサラリーマンにとって痛い出費だ。しかも、給料日前だったりする。
幹事は森本優司。外商部の再若手である。
その店の選択に、部内から非難の声が上がっていた。
それをかばうようにして、直属の上司に当たる喜多川椿が、部員に説明する。
「今回は特別だ。森本も悪気があってわざわざ高い店を選んだわけじゃない。しばらくの間――おそらく五年は、帰って来れないだろうから。日本の味ともお別れだろうしな。みんな心を広く持とう」
「喜多川課長……」
そう、課長。
つい三日前まで、喜多川の肩書きは『主任』だったはず。
それが、二十五歳にして課長に昇進、異例のスピード出世である。
その理由は……。
長い座敷の上座に、湯河原部長が座っていた。
その両脇には、喜多川と司会の森本が座っている。
目の前には氷の器に入った刺身の盛り合わせや、色とりどりの酒肴が所狭しと並べられている。
乾杯用の小さなグラスに、ビンビールが注がれた。
「えー、それでは今日の主賓であられます、湯河原部長からヒトコト、お願いしまっす!」
「ええと……今日は私のためにこのような会を開いてくださり、本当にありがとう、諸君! そもそも私がこの外商部の部長となったのは、そう忘れもしない七年前……ここにいる半分の連中は、私が育ててきたと言っても過言では……」
「それでは、乾杯!」
「「「かんぱーいっ!」」」
乾杯用に注がれたビールのグラスのぶつかり合う音。そして、お義理の拍手。
「こらこら喜多川君! 話は終わっとらんぞ!」
「いいじゃないですか、誰も部長の長っ話なんか、聞きたくないですよ。みんなとは飲みながらゆっくり話せばいいじゃありませんか」
「うぬう……まあ、それもそうか。せっかくの料理を前に、我慢させるのも酷だしな」
みんな、適当にやってくれ、と湯河原部長が言うと、座敷はあっという間に歓談モードへ突入した。
「しかしまあ、部長が上海支社に行ってしまわれるなんて、何だか寂しくなりますねぇ」
「そうか? 私には嬉しがっているようにしか見えないが……」
その通りだ。
なんと部長の送別会である。嬉しくないわけがない。
しかし、嬉しさ全開はさすがに不謹慎だ。喜多川は必死に喜びをこらえる。
「孫にもしばらく会えなくなるんじゃありませんか? ああ、でも今の世の中、ネット使えばテレビ電話も高くありませんからね」
そんなことを説明したところで、半分も理解してはいまい。何せIT知識皆無の中高年の代表格だ。
社交辞令の挨拶もそこそこに、喜多川は席を立った。一通り部員たちが挨拶しに来るだろう。いつまでも自分が隣に座って話し込んでいては、他の人間の迷惑になる。
どこに移動しようかと座敷を見回した。すると、部屋の隅の目立たぬところにいる、若い三人組の女の子に目が留まった。
向こうもこちらの様子をうかがっていたらしい。起立した喜多川に向かって愛想たっぷりに手を振ってくる。
「何で経理課の女子社員までいるんだよ? 森本……」
喜多川のつぶやきは、酒宴の喧騒にかき消された。
ミサキにひと言言ってやりたいのは山々だったが、経理課の女子社員二人も一緒だ。
「何でここに君たちがいるんだ?」
「私たちィ、湯河原ブチョーにはいろいろとォ、可愛がってもらったんでェ、最後の挨拶に来たんれすゥ」
「そうゆうことに、なってまーす!」
ミサキ以外の二人は、もうすでにデキあがっている。あまり日本酒は強くないようだ。
「……どうせあのオヤジに色々貢いでもらったんだろうが」
「あー、もしかして椿さん、それってヤキモチ?」
「んな訳あるか。外商の送別会にわざわざ顔を出してる時点で説得力ゼロだな。お前一人で来るのがいやだから、経理課の子たちを連れてきたんだろうが」
「ひどい……そんなんじゃないもん。みんな椿さんと一緒に飲みたいから、森本さんに頼んだ、だけ、なのにぃ」
何とミサキは、突然泣きはじめた。
あたふたする喜多川。
「おいおい……勘弁してくれよ。悪かった、言いすぎだった。謝るから、機嫌直してくれ」
「あー、カチョお、泣かしたー」
「好きな子をいじめちゃう、小学生みたいー」
みんなの視線が集中。
しかも経理課の女子社員から、槍玉に挙げられてしまう。
「なんか言うこと聞いてもらおうよー、ミサキィー」
「ミサキのお願い、聞いてね、カ・チョ・ウ。なんてねなんてねー」
酔っ払っているので、無礼講状態だ。残念。
「まずねまずね、経理課の女子のために、駅前の『ターフェルムジーク』のメイプルチーズケーキ!」
「? たふぇ……じ……? なんか知らんが、それぐらいならお安い御用だ」
店の名前は知らないが、チーズケーキというのなら相場は知れている。三人分プラスアルファでも三千円はかかるまい。
「喜多川課長が買いに行かなきゃダメよー? お金だけ出して、森本さんに行かせるのはNGー」
するどい。
まさにそうしようと思っていたのだ。図星だ。
「二つ目はねー」
「まだあるのか……?」
「悪魔だって3つはきいてくれるんですよォ?」
「何で俺が悪魔なんだよ……、むしろお前たちが小悪魔じゃないか」
「きゃはははっ! そうかもそうかもー。喜多川課長みたいなイイ男がちょっと困ったような顔って、そそられちゃうんだもん」
経理課二人が盛り上がっている。いや、喜多川もまんざらではない様子。
「みんなもういいよ、ありがと。『キタガワ課長』が可哀想だよ」
ようやくミサキが顔を上げた。
要するに、一人だけ泣いているのは損だと思ったのであろう。
「やっさしー、ミサキ。まあ、ミサキがそういうんなら許しちゃう!」
「あ、でもケーキは買ってきてくださいねー、カ・チョ・ウ」
「解った解った。それぐらいはさせてくれ」
そこで話は済むかにみえた。
しかし。本当の小悪魔はここにいた。
「なーんてね……実は最後のお願い、決めてあるんだ。いいでしょ、椿さん?」
涙の跡はすでに乾いている。
いや、涙が出ていたかどうかも怪しいが。
「今度あたしの主催する合コンに出る事」
「ごっ、合コン!? 俺が!?」
喜多川の声が、柄にもなく裏返った……。
その頃。
上座では、湯河原部長が地酒のお銚子を手酌していた。
幹事の森本がすかさず寄っていき、膝をついた。そして、部長の手からお銚子を取り上げる。
「ああ、ダメですよ部長! 僕がお酌しますよ」
湯河原部長の、どことなく寂しげな眼差しは、もちろん喜多川課長に向けられている。
「私にだって、ああいう時代はあったんだぞ」
「へえ、そうなんですか。スゴイですね」
森本青年はさして興味なさそうに、部長のお猪口に酒を注いでやった。
(了)
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