下校時間――。
昇降口で、一人の男子生徒が待ち受けていた。
顔は知っている。有名人だ。
学年は一緒だが、クラスが違う。
話をしたことがないので、そのまま素通りしようとした。
「ちょっと待って、喜多川さん」
最近、こんなことがよくある。
これって、デジャヴというやつじゃなかろうか?
ただ、今日はいつもと違って、アヤシイ雰囲気の人間ではなかった。
「……なんですか、黒磯会長」
そう、ここの生徒会長を務める男子だった。およそ筋肉の付いてなさそうな華奢な身体。どこからどう見ても、爽やかな好青年である。
「一緒に帰りましょうか」
「は? な、何でだよ」
唐突な生徒会長の申し出に、菖蒲は戸惑いを隠せない。
しかし、黒磯はさらに続ける。
「僕と一緒じゃ、駄目ですか?」
「いや、別にダメとかそういう問題じゃないだろ……」
一緒に帰る理由が見つからない。かといって、ダメな理由も……思いつかないのだ。
ただひたすら困惑の表情を浮かべている菖蒲に、この黒磯という男は直球をぶつけてくる。
「桜井君のことが気になりますか?」
「べっ、別にそういうことでもないって。第一、あいつはそんな細かいこと言わないし」
まずい。すこぶるマズイ。
黒磯のペースにはまっていくのを菖蒲は感じていた。
「というか、黒磯会長のほうがやばくなるんじゃねえの? 桜井はともかく、あいつの舎弟たちに見られたら、容赦しないだろうし」
菖蒲のせっかくの忠告にも、全く動じる様子はない。意外に冷静だ。
「……桜井君の舎弟ですか? 例えば誰なんですか?」
「お前会長のクセに、何にも知らないんだな。まあ、住む世界が違うから仕方がないけど。青島と白崎、あと……紅林とかいう3年」
黒磯はふうん、と興味なさそうに相槌を打った。
「覚えておきましょう。でもそんなのをいちいち怖がっていたんでは、いつまで経っても、喜多川さんと友達にすらなれないでしょう?」
友達。そう友達なら。
いい響きだ。
べつにイトコの達也と二人きりで帰ったって、桜井は何も言わないのだ。
それに、たまたま帰る方向が一緒なら、仕方がないではないか。
桜井のことが気にならないわけではない。
しかし、今日は珍しく早々に下校してしまったのだ。中学時代の友達と遊ぶ約束をしているから、と。
菖蒲は、桜井のそういうところがとても楽だった。
束縛するのもされるのも嫌いなのは二人とも一緒。
友人たちとの付き合いの時間も大切にするのも、考えは一緒。
だから、何だかんだ言って上手くいってるのだろう。
菖蒲は一人で帰ることも全然苦ではなかった。
べつにやましいことをするわけではない。
隠れずに堂々と黒磯と帰ればいいのだ。
何か言われたらごまかさずに言えばいい。
同じ方向になったから、一緒に帰った――、と。
この菖蒲の思惑は外れるどころか、とんでもない事態を引き起こすこととなってしまうのだった。
「ねえ、喜多川さん」
並んで歩き出した黒磯が、いきなり言った。
「なに?」
「君は、桜井君のどういうところが好きなんですか?」
「どっ、どういうって、言われても……」
突然聞かれても、返答に困ってしまう。
「ルックス?」
黒磯の言うとおり、桜井は一般男子高校生の平均をはるかに上回る、破格な外見の持ち主だ。
百九十センチはあろうかという身長、フランス人の血が混じったクォーターが故のエキゾチックな顔立ち、気障ったらしいその身のこなし。
桜井の素性を知らない人間なら、十人に十人は心奪われるだろう。
「見た目がいいってだけで、付き合えるようなヤツじゃないだろ……あたしが言うのも変だけど」
現に桜井の周りは、危険がいっぱいだ。近隣の落ちこぼれたちを手なずけているだけあって、味方も多いが敵もまた多いのだ。
「じゃあ、優秀だから?」
「あいつが頭いいのは認めるけど、別にだからといって得するわけじゃないし……」
「僕がいまここで、喜多川さんのこと好きだと言ったらどうします?」
菖蒲は自分の耳を疑った。
い、いまこの男、……何て言った?
恐る恐る、傍らの生徒会長のほうを振り向く。
黒磯の目は真剣そのもの。
「ええ? ……ええっと、そんなこといきなり言われても……」
「桜井君だって、君に突然申し込んだんでしょう? 条件は同じだ、違いますか?」
「そりゃまあ、そうだけどー」
――やめて。
「それに僕だって、充分優秀だと思いますよ」
「知ってるよ。それにあんたは生徒会長で、真面目で、先生や生徒の受けもよくて、優等生じゃん。結構モテるんだし、他にもかわいい子なんかいっぱい」
――やめてくれ。
「僕、喜多川さんがいいんだけどな」
菖蒲の中で、何かが切れた。ガマンという名の、細くて丈夫な糸。もう聞きたくないという風に、激しく首を振った。
「聞き分けのないヤツだな黒磯! あたしは桜井が好きだって言ってるだろ!」
冷静な黒磯も、菖蒲の大声にはさすがに驚いたようだ。
しかし、すぐに素に戻り、軽快に笑って見せた。
「嘘だ。好きだなんて言ってませんよ君は。……桜井君が喜多川さんのこと好きなのは解るんですけどね、君が桜井君に言いくるめられて、仕方なく付き合っているんじゃないかと思って、試したんです。本音が聞けたようで安心しましたよ――」
その黒磯の言葉を理解するのに、かなりの時間が必要だった。
いつの間にか、家まであと一つ角を曲がるだけという地点まで来ていた。
黒磯と一緒にその角を曲がろうとし、そして――。
菖蒲の目に飛び込んできたものは、何と。
「お、お、お兄ちゃん! あ、あ、あの……」
「お帰り、菖蒲……そっちの彼は、友達か?」
兄の椿が、ありえないくらい早い時間に、家の前にたたずんでいるではないか。
それに――。
「あ、喜多川さんのお兄さんですか? はじめまして、僕、黒磯といいます」
言葉がそれ以上、出てこない。
言語中枢なのか、感情をつかさどる部分なのか、とにかく脳がマヒ状態なのだ。
兄の椿に見られてしまったという事実。
それよりも。
椿の隣にたたずんで、菖蒲の姿を凝視している大男――。
どうして――どうして桜井がここにいるんだ……?
「いや、あのさ、別にたまたま帰る方向が一緒になったから、ここまで一緒に来ただけで」
いやだ。
もの凄くいやだ。
言い訳をしている自分――。
「黒磯――」
桜井のドスの聞いた声が響く。
菖蒲はまともに顔を合わせることができない。
「遠回りさせたな、悪かった」
「いいや、桜井君の頼みならお安い御用ですよ……それでは僕はこれで。じゃあね、喜多川さん」
軽く手を上げる黒磯のからかうような表情は、心なしか策略を匂わせていた。
「頼みって、……何なんだよ。あいつはいったい何なんだよ!」
「何って、いろいろ物騒だから、アヤメが俺か阪東と帰れない時は、うちの幹部が交代でガードする手筈になっている。ちゃんと言い聞かせてあるから、心配しなくていい」
まったく、桜井というヤツは。
嬉しいんだか、安心したんだか、とにかくいろいろな感情が入りまじっている。
そこで、ふと気付いてしまう。
「ちょっと待て……あの生徒会長もお前の舎弟なのかよ!?」
「ああいうのもいたほうが、いろいろと都合がいいのさ」
どうなっているんだ、『桜組』という組織は。まったく奥が深すぎる。まあ、いまさら驚くのもどうかと思うが……。
「しかも何? 用事ってお兄ちゃんと会うことだったの? だったらあたしと一緒に帰ればよかったんじゃない!」
菖蒲は桜井の顔を見上げ、軽く睨みをきかせた。
桜井はめずらしく途惑ったような微妙な表情をしている。どうやらこいつも後ろめたいことがあるに違いない。
そこへ口を挟んできたのは、血のつながっているはずの元祖インテリやくざだ。
「女みたいなヤキモチを焼くんじゃない! 気持ち悪い」
「あたしは女だっ! てめえの『妹』だろうが! それにそれに……ヤキモチじゃないもん」
「アヤメ」
桜井が言う。
「今日のことは俺が悪かった。喜多川さんに口止めされたからといって、お前に嘘をついてしまったのは事実だ――。それに黒磯のことだ、お前に何か吹っかけでもしたんだろう? ……すまなかった」
問題は桜井ではない。バカ兄貴だ。
「何でお兄ちゃんが、桜井のこと呼び出してんだよ! それに会社はどうしたんだよ! まだ五時前だぞ!」
「桜井君に渡しておきたいものがあったんだ。仕事にはこれから戻るさ。口うるさい上司も今はいないし、天国だ。じゃあな」
そのまま家に入ることなく、兄・椿は去っていったのだった――。
「何もらったの?」
菖蒲は興味本位で尋ねた。
すると桜井は一瞬、何かを考えたようだった。
「アヤメ、お前さ。――やっぱり何も聞いてないのか? 今週末の土日」
「別に何も……何かあるのか?」
椿は特に何かを言ったということはなかったと思う。いつもケンカ腰なので、もしかしたら聞き逃していることもあるかもしれないが……。
「喜多川さんから、旅行のチケットをいろいろ……二人分だからな」
菖蒲は桜井の顔をまじまじと見つめた。そして、桜井も。
いったい何を、考えているんだ。
――バカ椿。
(了)
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