鮮やかに色づいた木々の葉っぱが、時折、一枚また一枚、ゆっくりと散り舞っていく。
晩秋の陽の光が、小高い丘の上の林の中を穏やかに包み込む。
空気は清冽だ――。学校のチャイムの音が遠くから響いてくる。
落ち葉のじゅうたんの上を、黒磯少年は歩いていた。振り返ると、木々の間から校舎が見えている。
普段は、滅多にこの丘に足を踏み入れることはしない。
――彼の隠れ家なのだから。
「やっぱり、ここでしたね。捜しましたよ」
目的の人物は、大きな樫の木の幹にもたれて、座っていた。目を閉じたまま腕を組み、――口に咥えているのは、中学時代から吸っている煙草。
堂々とした喫煙っぷりがまた、サマになる男だ。もちろん誰も注意などできない。
全てにおいて敵わないのだ、この男には。知力も、腕力も、外見も――。
黒磯が唯一認めた、男の中の男。
『インテリやくざ』と呼ばれる、桜井知宏だ。
桜井は、黒磯の言葉にまぶたを開いた。くっきりとした二重まぶたが現れる。
ただ燻らしていた煙草を、口から外し、ダルそうに低い声を出した。
「……授業はどうしたんだ? 生徒会長さんよ」
「人のことが言えるんですか? 桜井君」
それ以上、会話は続かない。
黒磯と桜井は、秀才同士である。授業の欠席など、さしたる問題ではない。
それはお互いが充分知っている。知っていてあえて交わした会話――社交辞令のようなものだ。
「桜井君、こんなところでタバコ吸って……」
「堅いこと言うな。あいつの前では吸わねえからよ、これだって久しぶりだ」
『あいつ』。桜井がふた月ほど前から付き合っている『彼女』のことをだと、黒磯はすぐに解った。
吸えない、ではなくて、吸わない。
どうやら彼女の喜多川菖蒲に注意されて、止められているというわけでないらしい。
それだけで、桜井が彼女に対して抱いている気持ちが伝わってくる。
黒磯の中の「桜井ポイント」アップだ。
「僕にも一本ください」
「? いいぜ、……ほら」
桜井は少しだけ驚いたようだが、特に詮索することなく、封が開けられたばかりの煙草の箱を、生徒会長に向かって差し出した。
黒磯は慣れた手つきで箱の底を叩き、一本取り出した。桜井はジッポーライターを投げてやる。
「素適なライターですね、これ」
「貰ったんだ、喜多川さんに」
「お兄さんの方ですね?」
ふう、とため息とともに煙を吐き出した。
黒磯は、表情を硬くしたままタバコを咥えている桜井に言った。
「隣、いいですか?」
「……ああ」
一人で何か考え事をしたかったのだろうか。桜井の返事は冴えなかったが、特に嫌がっているそぶりも見せていない。
黒磯は安堵し、桜井の右側に腰を下ろした。
「桜井君の、その怪我なんですけど……」
「気付いてたのか? フッ、全くお前だけは敵に回したくねえな」
確かに、周囲に知られてないようみえる。いつも傍に控えている舎弟たちにも気付かれていないようだった。
――まあ、あいつらはアホだから仕方ない。
「褒め言葉として受け取っておきましょう。それに僕は、桜井君の敵になったりはしませんよ。敵に回して怖いのは、桜井君も一緒ですから」
桜井は僅かに口の端を上げた。そして短くなった煙草を落ち葉に押し付け揉み消す。
「正直なやつだな」
桜井は再び、新しい煙草に火を点けた。二本目だ。
「おおかた、気付いてるんだろ?」
桜井は試すように訊いてくる。どの道、黒磯には隠し事はできないと、桜井自身感じているためであろう。
「じゃ、やっぱり紅林先輩の手のものにやられたんですか?」
「……やっぱり、って。どういうことだ」
黒磯の返事は意外なものだったらしい。桜井は、横に座る黒磯少年の方を振り向いた。
目が合う。桜井の恐ろしく整った顔は、怖いくらいに美しい。やはりその辺の落ちこぼれたちとは、迫力が段違いだ。
「違うんですか? 僕はてっきり、報復なのかと思ったんですけど。色々と僕の耳に紅林先輩の情報が入ってきてるんです。そろそろ喜多川さんも危ないかもしれないと思って」
『喜多川さん』という言葉に、桜井は明らかに反応した。再び正面を向き、樫の幹に身体を預け直す。
「どうだろな。俺たちはもう、駄目かもしれねえからよ。……俺のこと、好きでいてくれていると思ってたのは、自惚れだったのかもなあ」
「あらら、自信家の桜井君にあるまじき発言ですね。あなたを慕う大勢の舎弟たちには、到底聞かせられませんね」
黒磯の冷やかしも、桜井はいつものこと、と流した。
「お前は特別だ。頭もいい」
「桜井君ほどではありませんよ」
「は、お世辞なんかいらねえよ」
『特別』と言われて、黒磯はまんざらでもなかった。優秀な頭脳の持ち主に『頭もいい』と言われるのも、実は大好きだったりする。
――しばし沈黙の後。
黒磯は、ストレートに疑問をぶつけてみた。
「ということは、……ひょっとしてそれ、相手は喜多川さんなんですか!?」
肋骨骨折で、整形外科の診察を受けに行ってたことを、黒磯は知っていた。
「この俺を病院送りにした初めての女だよ、あいつは」
「初めての『女』っていうか、初めての『人間』じゃないですか! さすがはあの『喜多川椿』の妹さんですね……。で? いったい何をしたんですか、桜井君は」
黒磯は意地悪く笑った。
桜井はゲホゲホと大きく咳き込んだ。煙が気管のおかしなところに入り込んだらしい。
「何って……別に、付き合ってたら普通にするようなことだ。ゴホッ」
それを聞き、黒磯はいらぬ想像を巡らせた。
――付き合ってたら普通にすることを桜井君がやって、喜多川さんがこの桜井君に怪我を負わせるほどの抵抗を?。
その場に居合わせて見てみたかったな、と黒磯が不謹慎なことを考えていたことは、隣に座る桜井が知る由もない……。
黒磯の中の「桜井ポイント」再びアップだ。
「顔面にぐーはねえだろ? なあ、いったい俺のどこが気にいらねえというんだ?」
いつになく弱気な桜井に、黒磯は目を丸くした。そして、煙を吐き出しながら、こらえきれずに笑う。
「喜多川さんはね、きっと桜井君が考えている以上に女の子らしい女の子なんだと思いますよ? 嫌いだから抵抗された? ははは、恋すると周りが見えなくなるのは、どうやら桜井君も一緒のようですね」
黒磯はからかうように言った。もちろん、黒磯少年だから許されている一級品の毒舌。これが他の舎弟たちなら、ぶっ飛ばされて丘を転げ落ちる羽目になるはずだ。
「まあ、充分楽しかったしな、この二ヶ月間。……そろそろアヤメを自由にしてやらねえと。あいつに被害が及ぶことだけは、絶対に避けたい。菜摘のときのような失敗は、二度としたくねえんだ」
菜摘、と女の名前を口にした。
噂だけは聞いたことがある。黒磯は他の舎弟たちとは違い、中学が別なのだ。
桜井の中学時代の彼女――、ナツミ。そうだ、確か。
そして失敗。失敗だと思っているのか。
失敗も後悔もしない人間など、この世に存在しない。それが超人的なインテリやくざといえども。
人間的魅力は、外見の比ではない。
黒磯の中の「桜井ポイント」は増加する一方だ。止まることを知らない。
「決戦が近いということですか? 何の因果か……数奇な運命ですね」
黒磯は最後の煙を吐き出し、そしてそのまま煙草の火を揉み消した。
――好きな人を守るための最大の策を、桜井はこれからしようとしている。
こうする他に、道がないのだ。
「お前にはいつも苦労をかける」
「苦労どころか……僕は楽しいばかりですよ? ああ、喜多川さんがフリーになるんなら、僕、本気でアタックしてみようかな」
桜井の目が一気に凍りついた。眉間にしわが寄り、つりあがった目は般若寸前だ。
並の人間なら、飛び上がり一目散で逃げているところだろう。
しかし黒磯は、そんな桜井をみて嬉しそうに、それは嬉しそうに微笑んでみせた。
「ふふふ……冗談ですよ。本当にあなたという人は……。僕が女の子だったら、間違いなく桜井君のこと好きになってましたよ」
桜井の般若の形相は、ゆっくりと緩んでいき、やがて、照れたような笑顔を見せた。
――やられたな、と。
「俺はいつかお前に殺されるな……優秀なアタマと、そのよく動く口でな」
「ペンは剣より強し――でしょうか。それが僕の武器ですから」
そう言って、黒磯は立ち上がった。煙草のことはお互い秘密にしておきましょう、と付け加えることも忘れずに。
いつしか、煙草の煙を木枯らしが、落ち葉とともに巻き上げていった――。
(了)
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