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23 間違い電話  喜多川家の陰謀
 喜多川椿が外回りから戻ってきた。営業資料やノートパソコンの詰まったアタッシュケースを携えて、晩秋の木枯らしもものともせず、コートもなしで颯爽と廊下を歩いていく。
 二十五歳にしてすでに課長――。そのデキル男っぷりは社内の注目度ももちろん高い。
 そしてその若さで、未成年の弟妹たちを養っている、という事実も、喜多川椿の評価をアップさせていることは言うまでもない。
 たとえどんなにどす黒い過去があったって――。いや、社内の人間たちは、誰もそのことを知らないのだ。
 たった一人を除いて。

 総務部経理課の、八重樫美咲――。

 喜多川の所属する外商部は五階にある。エレベーターは一階の奥。
 どうしても総務部の前を通らなければならないのだ。


「どうしたのー? そんな疲れた顔して。コーヒーでもどう? たまにはおごるよ?」
 早速つかまってしまう。喜多川は歩く速度を緩めない。ミサキは必死に横に並んでついてくる。
「お前の顔を見ると疲れがどっと出て来るんだよ。それにミサキがおごるなんて……何入れられるか分かったもんじゃないからな」
「常にイイ男でいるのは、椿さんらしくないじゃん? 無理してるから疲れるの。私は昔の椿さんを知ってるから、きっと安心できるんでしょー?」
「安心? ……危険の間違いだろ」
 会話を交わしながら二人はエレベーターの前までやってきた。ボタンを押すとすぐに扉が開く。
 喜多川がそれに乗り込むと、ミサキも一緒に乗り込んでくるではないか。
「どこまでついて来るんだよ?」
「五階の自販機ね、一階よりもいっぱい種類があるの。ねえねえ、椿さんクリスマスの予定は?」
 エレベーターの扉が、ゆっくりと閉まった。喜多川は5のボタンを押してやると、そこが点灯した。
「家族でケーキ食うに決まってるだろうが……しかも外商部は前日が忘年会だしな」
 ゆっくりと上昇――。2、3と上部の階数表示が変わっていく。

 次の瞬間――。
 大きな衝撃を伴って、突然エレベーターが停止した。

 電灯も操作ボタンもすべて消え、中を照らすものは何もなくなってしまった。
 漆黒の闇が二人を襲う。
「てっ、停電か?」
 喜多川は傍らにいるであろうミサキに向かって声を掛けた。
 するとミサキの声が、暗闇から返ってくる。
「あっ……きょう、三時からエレベーターのメンテがはいるって言ってたんだ」
 何でそれを早く言わないんだ――。それでも総務部の人間か?
 喜多川はミサキを責めようとした。しかし、この状況で彼女を責めたところで、事態が好転するわけでもない。
 喜多川は落ち着いて状況を把握すべく、持っていた重いアタッシュケースを床に置いた。
 一気に身が軽くなる。
「メンテナンスで、電気まで消えてしまうもんなのか?」
 それにしても、光も届かぬ閉ざされた空間というものは、こんなにも暗いものなのだろうか。
「だって、災害時には非常灯がつくはずでしょ? それもついてないんだから……元を切っちゃってるんだよ、きっと」
 ミサキの声はなぜか明るい。むしろこの二人だけという状況を楽しんでいる風にすら取れる。
 しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
「まいったな……早く開けてもらわないと」
 喜多川は胸ポケットから携帯電話を取り出した。掛ける相手は喜多川の直属の部下、森本青年だ。
 厄介事はこの青年に押し付けるに限る。お人好しな性格も手伝って、喜多川の無理難題も忠実に聞く、希少な存在だ。
 短縮番号を押し、森本青年と通話が繋がる。喜多川が事情を説明しようと口を開きかけたその瞬間――。
 ミサキは、通話中の携帯を喜多川の手からぶんどった。
「おい、何するんだよ!」
 ディスプレイの明かりで、暗闇に二人の姿が浮かび上がった。
「すみません、間違いました。……切る、っと」
 まったく、理解不能だ。ミサキの行動にしょっちゅう振り回されているが、いつまで経っても慣れることはない。
「間違いましたって……お前、俺の携帯からかけてるんだから、森本にバレバレだろうが!」
「どうせ十分もすれば電気点くって。……もしかして椿さん、暗いトコ、怖いの? だから森本さんに早く助けて欲しいんだ?」
「馬鹿言え……」
 結局のところ、喜多川はミサキの挑発にまんまと引っかかってしまうのだ。
 いや、引っかかると分かっていて、あえて嵌っていってるという自分に、最近ようやく気付き始めていた。


「くしゅん」
 闇の中で、ミサキが小さくくしゃみをした。
 空調も止められたようだ。閉じ込められて数分だが、少しずつ温度は下がっているようだ。
「しょうがないヤツだな…………ほら」
 暗闇の中をごそごそ動く気配だけがする。
「椿さん、やっさしー……い? 何これ!? やだ、信じられない」
「さっきそこで貰ったばかりだ」
 喜多川がミサキの腕を探って、手のひらを辿り、『貰ったばかり』のあるモノを握らせたのだ。
「普通さ? 女の子がくしゃみしたら、上着を貸してくれるもんじゃないの? 何で街角のティッシュなわけ?」
「鼻水垂れたらカッコ悪いだろうが。まあ、垂らしてたところでこの暗闇じゃ見えないがな」

 あたりは静かだ。お互いの姿も見えぬ世界。
 ――異次元だ。
 いつもとは明らかに雰囲気が違う。
「ミサキ、……お前さ、付き合ってる男とかいないのか?」
「えっ、何なの突然? ……いないけど」
 明らかに驚いている。顔は見えていないが、その声から驚嘆の表情が手にとるように分かる。
「好奇心だよ。じゃあ、好きなやつは?」
「……いる。五年前からずーっと好き。意外と一途なの、私」
 喜多川の、鼻で笑う声が響いた。
「一途が聞いて呆れるな……部長のこと誘惑してただろ」
「体の関係はなかったもん。たまーにお食事とか付き合ってあげただけで」
 ミサキが拗ねたように言い訳をしてみせた。――なんとまあ、無邪気な物言いだ。
 喜多川は、面白くなさそうに淡々と言う。
「お前にその気がなくても、いつあのジジイが求めてくるか分からないだろう? あさはかなんだよ、考えが。まあ、上海に飛ばされてくれたからいいようなものの……」
 そういうことなのだ。
 ちょろちょろ付きまとうミサキは確かにうっとうしいが――自分以外の男に尻尾を振るのは、喜多川はどうしても許せないのだ。
 尻尾を振られて骨抜きになる腐ったオヤジは、もちろん言うまでもなく。
「椿さん……気付いてるんでしょ? 私の好きな相手」
 視覚が封じられている分、聴覚がいつにもまして敏感になっている。
 いまミサキが、どんな顔をしているのか判らない。

 突然、耳をつんざくような着信音が、辺りに鳴り響いた。
 喜多川が光っている携帯を胸ポケットから取り出すと、ディスプレイには「シモベ」の文字――。
「……あ、森本だ」
 すかさずミサキは携帯をぶんどった。二度目だ。
「どちらにおかけですか? 人違いですけど! はいっ、切る!」
 喜多川はミサキの手から携帯をぶんどり返して、再び胸ポケットへとしまった。
「至急の用件だったらどうするつもりなんだよ……まったく」
 といいつつも、この話の流れで、森本の電話はあまりに絶妙だった。ミサキが怒りたくなる気持ちも、まあ、解らないわけでもない。
 そして、再開――。

「気付いてるんだよね?」
 ミサキは暗闇の中、喜多川の身体に抱きついてきた。柔らかな温もりが伝わってくる。
 困った――。どう対処したらいいものやら。
「いったい俺に、どうして欲しいんだよ、ミサキは……」
「私、椿さんと少しでも近づきたくて、ここの会社入ったんだもん」
「……知ってるさ。けどな、俺はお前が思っているような王子様じゃないぞ」
「私は椿さんの全てが好きなの!」
 いま彼女は、いったいどんな顔をしているのか――。それは判らない、ただ。

「その程度で――俺に本気を出させようってのか?」
 悪ノリだ――。闇の力が喜多川の理性を失わせようとしている。
「暗闇で、若い女が男に抱きつくとどんなことになるのか、教えてやろうか……?」
 椿は自分の身体に回されていたミサキの両腕をつかんで解かせ、そのままエレベーターの壁に押し付けた。
 ミサキの頭が軽くぶつかった。手首は肩の横の位置で押さえつける。
 暗闇でお互いの姿は全く見えない。閉ざされた箱の中――。
「本気で愛される覚悟はあるのか? 俺は、手加減も容赦もしないからな」
 一瞬、ミサキが抗うそぶりを見せた。そんなに強くはない。この状況を受け入れるか否か――迷っているのか。
「本当に受け止められるか? 言っておくが――俺の愛は重いぞ」
 そう言って、喜多川は自分の額をミサキの額にそっとぶつけた。
 もうミサキは、抵抗するのを止めていた。

 再び電話が鳴った。もはやため息しか出てこない。
 またもや森本――絶妙なタイミングだ。
 ひょっとしてあいつは、どこかで見ているんじゃなかろうか?
 さすがに今度ばかりは、喜多川本人が通話ボタンを押し――。
「おかけになった電話番号は現在使われておりませんっ! ……ブチっ 通話終了っ!」


 電話が切れるのと同時に、エレベーター内の電気が復活した。
 まぶしくてすぐに目を開けられない。
 二人は突如、現実世界へ引き戻されてしまった。
 ミサキの両目は、これ以上ないくらいに見開かれたまま。
 ただ呆然と、喜多川の悪戯っぽい顔を凝視している。
「なーんてな……驚いたのか? ミサキはまだまだお子様だな。ははは、まあ、そこがお前のいいところでもあるんだけど」
「おっ、おっ、驚くに決まってるでしょっ! 椿さんのバカ!」
「俺のこと、嫌いになったか? ははははは」
 喜多川が軽快に笑って見せると、ミサキは口をへの字に曲げて拗ねたような顔をした。
 そうそう、この顔、――快感だ。

 ミサキが階段で一階に戻ったあと、五階にうろついていたメンテナンス業者を、喜多川はつかまえた。
「ちゃんと中に人がいないのか確認してからやってくれよ? まったく」
「すみません。でも、あなた方のご協力で、非常通話システムのチェックができましたので助かりました」
 ご協力? 助かった? 
 ただ閉じ込められていただけなのだが――。
「たとえ停電になっても予備電源を使って、中の人間の声は逐一管理センターへ届けられるんですよ。――もちろん検査チェック、OKでした」
「…………なんだって?」
「まあ、よくあることです。われわれもプロですから……決して他言しませんよ」

「そうしてくれると、――助かる」





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