日曜日――。
喜多川桔梗少年が、お気に入りのマフラーを首に巻きつけ、初冬の雑踏を歩いていた。
向かう先は、駅前商店街の中ほどに位置する、パリのカフェを彷彿させるお洒落な洋菓子屋だ。しかし店の中へは入らずに、そのまま素通りして、隣の店との間の小路に入っていった。
店の裏側は、普通の住居と何ら変わらない。壁に取り付けられた排気口から、バターやクリームの香りがしている。そして甘くみずみずしい果物の香り――。
こういううちの子に生まれたかったな、と桔梗は思った。
運命とは皮肉なものだ。
どう贔屓目に見たって、ここのうちの子供たちより、桔梗のほうがずっとケーキ屋の子供にふさわしい風貌だと、きっと万人が認めるだろう。
僕は天使、君は悪魔――。
インターホンを鳴らすと、目的の人物はすぐに走り出てきた。ちゃんと約束の時間に合わせてきたのだ。きっと待っていてくれたに違いない。
可愛い悪魔だ――。
「ホントに来やがったのか……」
小学生にして、その風体は中学生の桔梗以上だ。エキゾチックな顔立ちがいっそう年不相応の迫力をかもし出している。
「僕ね、シャコウジレイって言葉、大嫌いなんだよ」
初めて出会ったときに、桔梗とこの悪魔・桜井譲次はお互いの立場を認識し、やむなく友好関係を結ぶことにしたのだ。
お互いの姉と兄は恋人同士――。未来の義兄弟なんてことも、充分ありえる。
「譲次君がお友達連れてきたんだって?」
白いシャツに青のチーフを首に結んだ、彫りの深い端正な面持ちのガイジンが、桔梗の通された居間へとやってきた。
おじいさんがフランス人だといっていた。この譲次少年はクォーターなのだから、この菓子職人風の男は、ハーフである父親なのだろう。
「こんにちは、初めまして。喜多川桔梗です」
礼儀正しく挨拶すると、桜井父はやさしく表情を緩ませた。
「譲次君が友達を家に連れてくるなんて、初めてなんだよ。ゆっくりしていってね。今ミルクティー淹れてあげるから、待ってて」
「はい、アリガトウございます」
桜井父は、いったん奥へと引っ込んだ。
「へえ? 君、友達いないの……?」
「うるせーよ」
近隣小学生に『悪魔』と呼ばれているのだ。彼を取り巻く環境は、聞かなくても見当がつく。
「君、性格悪そうだしね」
「猫かぶりのてめえに言われたくねえっ!」
そこへ再び、桜井少年の父がお茶やらケーキやらを大きなトレイに入れてやってきた。
「そうそう、ちょうど良かった! 喜多川君、君、ケーキ好き?」
「はい。甘いものは大好きです」
桔梗は大きく首を縦に振った。わざわざここへ遊びにやって来た目的は、『おいしいケーキが食べたいから』だったりする。
願ってもない展開だ。
「クリスマスケーキの新メニュー。試作品なんだけどね」
桔梗の目の前に、三種類のケーキが置かれた。
「どうしても意見がまとまらなくて。君の意見を聞かせて欲しいなあ」
クリスマスケーキの試食――。
桔梗の大きな瞳が、一段と輝きを増す。
「うちではね、毎年、私と子供たちがそれぞれレシピを考えてね、一番出来のいいものが実際に店頭に並ぶんだよ」
「へぇ? じゃあ、この三つのケーキは、おじさんと、桜井のお兄ちゃんと、譲次くんがそれぞれ考えたってことなんですか?」
「そうだよ。一応ね、先入観を持たないように、誰がどれを考えたのかは取りあえず伏せておこうね」
桜井父はそのオリジナルケーキを一つずつ取り分けて、桔梗の前へと差し出してくる。
エントリーナンバー・1番 『ベリー・エンジェル』
濃厚な果物の香りがしている。ベリー、と名につくだけあって、赤や紫の小粒がスポンジケーキの中にも上にもぎゅうぎゅうと詰まっている。
フォークで端を崩すと、フルーツと混ざったフレッシュチーズが姿を現した。深紅と純白のコントラストが美しい。
桔梗がそれを上品に口へ運ぶ。
「うん、とても美味しい」
桔梗がそう言うと、桜井父はこれ以上ないくらいの満足げな笑顔をみせた。
エントリーナンバー・2番 『リアル・ノエル』
見た目は普通のブッシュ・ド・ノエル。薪の形をしたロールケーキだ。ヒイラギの飾りが目に鮮やかだ。
ただ気になる点が……ひとつだけ。
キノコだ。この香り、この質感。
間違いなく正真正銘のキノコだ。
桔梗は恐る恐るフォークをキノコの根元に突き刺すようにしてすくった。それをそのまま眼前に引き寄せ、その物体をまじまじと見つめた。
「なんか……、このキノコ、生ですよね……?」
どこからどう見ても「シイタケ」である。
「おいキキョウ、ツッコむところが違うだろ。キノコに火が通ってたら、お前それ食うってのかよ? 何でキノコが生えてるのか、ってことに疑問持てよ!」
悪魔な少年・譲次が、いちいち文句をつけてくる。
「考案者がどうしても譲らなくてねえ。『薪にはキノコが生えてなくちゃ、おかしいじゃねえか』ってね」
その説明で、誰が考えたのか、桔梗はなんとなく解った。おそらく間違ってはいまい。
「そんなにシイタケが好きなんだ……」
桔梗は、以前一緒にすき焼きを食べたときのことを思い出し、一人納得していた。
エントリーナンバー・3番『アマゾネス』
原色の緑色とオレンジ色のマーブル模様が目につき刺さる。
質感はババロアのようだ。たっぷりのチョコ生クリームの上に、ホワイトチョコでできたドクロが――。
コンセプトが全く解らない。
「これ、どの辺がクリスマスなんですか……?」
「そのドクロ作るのに、時間がかかるんだよねえ。大量生産には向かないかなあ」
一応、スプーンをを差し入れてみる。なんとも形容しがたい風合い。オレンジ色はオレンジ味だが、緑の部分は――。
解らない。何だか解らないものの味がする。
怖くて聞けない、アマゾネス。
「……ごちそうさま」
トレイの上にはまだ、同じ種類のケーキがいくつか残っていた。
「ええと……そこのケーキ、貰っていってもいいですか?」
「ああ、どうぞどうぞ。ぜひ持って帰ってね。知宏君も譲次君も、喜多川さんたちにはいつもお世話になってるし」
桜井父が気前よくそう言うと。
桔梗はにっこりと微笑んだ。純真無垢な、天使の笑顔。
「じゃあね、いま箱を取ってくるから、喜多川君、ちょっと待っててね」
そう言って、名菓子職人は店舗へと向かい、居間をあとにした。
桔梗はもう一度、一つ一つのケーキを手に取り、眺めていく。一番初めに食べた、赤い宝石のようなエレガントなケーキ――。
「お兄ちゃんにはこの『ベリー・エンジェル』をあげよう。これは一番まともだから、きっとおじさんが考えたんでしょ?」
「ふん、よく解ったな。パパのはありきたりでつまんねえんだよ」
次は、キノコの生えた、薪の形をしたケーキ――。
「菖蒲ちゃんには『リアル・ノエル』だっけ? センスはイマイチだけど、キノコを取ったら普通のチョコケーキだし。それに、きっとこれ、桜井のお兄ちゃんが考えたと思うから、菖蒲ちゃんにちょうどいいかも」
「アニキはなァ、『天才とバカは紙一重』を地でいってんだよ。リアル過ぎだっつうの……」
ここまでは予想通り。すると残った怪しい色合いとドクロのケーキ――。
「で、譲次くんが考えたのは『アマゾネス』だね? これは、僕の……」
「仕方ねえなァ。俺様のケーキを食わせてやるか」
「うん、きっと喜ぶよ。僕の、ワンちゃん」
桔梗の表情は、堕天使の笑みに変わった。
「い、い、犬?」
桜井譲次少年は、呆気にとられたまま――。
桔梗少年は、大胆にも不遜な笑みを浮かべている。
「僕、兄弟の中で一番、グルメなんだよ」
さて、今年のクリスマス。
駅前の洋菓子店『ターフェル・ムジーク』の店頭に並ぶケーキは、おそらく――。
(了)
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