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27 トイレットペーパー  喜多川家の陰謀
「最近、痛いですよね……?」
「お前もそう思うか? 経費節減だか何だか知らんが、粗悪品もいいトコだ」
 コスモスコーポレーション社内の男子トイレで。
 課長の喜多川と部下の森本が、用を足しながら「最近のトイレ事情」を語り合っていた。
 すると塞がっていた個室のトイレのドアが開き、中から出てきた男が、急に二人の会話に割り込んできた。
「君たち贅沢だな。オイルショックの頃はこれが当たり前だったんだぞ?」
 オイルショックといえば、一九七〇年代前半に原油価格が高騰し、紙不足が深刻化されるといわれた社会現象だ。
 歴史の授業で習ってはいるが、二十代の喜多川と森本にとってはまるで実感のわかない話である。
「あー、僕たちはまだ生まれてないですね、その頃。ねえ、喜多川課長?」
「おい森本、そんなのん気なことを言う前に、だ。――湯河原部長、いつ上海支社からお戻りになられたんです?」
 そう、目の前に立っているのは紛れもない、ひと月前まで二人の所属する外商部の部長だった男、湯河原だった。
「君たち知ってたか? 海外派遣組には年に一ヶ月の長期休暇が認められているんだよ。クリスマスや正月も近いし、ゆっくりと孫と過ごす時間が必要だと思ってな、早々と冬休みをいただいたんだよ」
「いいご身分ですねぇ、それはまた」
 喜多川は思い切りイヤミをこめて言った。
 森本青年は思いついたように、湯河原部長に尋ねた。
「じゃ、外商の忘年会にも出席されますよね? 僕、幹事なので、今から追加しておきますよ」
「ほう、それはそれは。いつだね?」
「十二月二十三日です。休日なんですけど、そこしか空いてなくて。会費は七千円ですので」
 喜多川は一応、森本青年に牽制をかける。
「森本、いきなりじゃ部長にご迷惑だろう? もう外商の上司ではないんだし……」
「別にいいじゃないですか。どうせまた経理課の子たちも飛び入り参加しますから」
「お前はやつらに甘すぎるんだよ。……まったく」
 気のいい森本青年は、意外と女子社員の受けがいいのだ。ただ、いいように使われているだけというウワサも無きにしも非ず……。
「経理課の子も来るのかね? そりゃ楽しみだ! これから社長にご挨拶して帰るだけだから、上海名物の饅頭を持って、あの子の顔を見に寄っていくとするか」
「ああ、いいですねー。きっと喜びますよ。女の子は甘いもの、大好きですからねぇ」
 森本が愛想笑い全開で部長を送り出したあと――。
 もちろん、喜多川課長はご機嫌ナナメ。
 湯河原部長と、経理課の女の子。腹の底から気に入らない組み合わせだ。
「上海名物は、『饅頭』じゃないだろ……」
 もちろん外商部の「元」部下たちに、土産などあるはずもない……。


 いつもはよほどのことがない限り寄り付かないようにしている一階の総務部に、椿はやってきた。
 もちろんすぐにつかまってしまう。
「あっ、めっずらしいー。どうしたんですか? 喜多川課長」
 二人きりのときには『椿さん』と呼ぶミサキだが、周りに他の社員がいるときはちゃんと『喜多川課長』と呼んでくる。
 ざっとフロアを見渡すと、まだ湯河原部長の姿はない。
 先に社長に挨拶すると言っていた。社長だっていろいろ忙しいだろうし、すぐにはここに来ないのだろう。
 喜多川は少しだけ安心していた。
 しかし用もないのに、ここまで来たのも変である。
 とっさに理由を見つけようと、脳みそを振り絞った。
「消耗品発注担当の子に――用事があるんだが」
「ああ、江田島さんね、今買いだしに行っててまだ帰ってきてないの。代わりに用件聞くけど?」
「男子トイレのトイレットペーパー、あれ、何とかならんのか? ケツが痛くてたまらん…………と、森本が言っていた」
 喜多川は勝手に森本青年の名前を出した。ちょっとしたカッコつけだ
「ああ、やっぱりダメ? あれね、新しい業務用品メーカーが、試しに一ヵ月分使ってみてくださいって置いていったの。実はね、男子トイレだけなんだよ。女子トイレは今までと同じ」
「卑怯だな……今に社長からクレームが来るぞ」
「……もう来たよ。だから今、江田島さんが買いに行ってるの」
 言わんこっちゃない。しかし、何もわざわざ買いに行かなくたって――。
「女子トイレのストックを回してやればいいじゃないか」
「あれはシングルロールでしょ? ダブルロールの、思いっきりソフトなやつがいいんですって」
 どうやら社長、持病の悪化らしい……。


 そんな中。
 予想以上に早く、湯河原部長が総務部に姿を現した。
「みんな、元気だったかい? はい、おみやげだよ」
「わーいっ」
 お菓子の大きな箱とは別に、きれいに包装された小箱を女子社員の人数分――。
 何が饅頭だ。いや確かに饅頭もあるようだが、メインはアクセサリーだ。
 もちろん一番最初に飛びついたのは、ミサキである。
「さすが部長! いやん素適、どれにしようー」
 社交辞令だか何だか知らないが、ミサキの目からハートマークが出ている。
 「¥」マークかもしれないが……。
 ――しかし、あれはやりすぎだ。
 喜多川の心に火がつき、そして黒煙を上げて燻っている。
「おい、八重樫ミサキさん、ちょっと」
 喜多川はわざとらしく、フルネームで呼んでみせた。手招きするとすぐにやってくる。
「わ、ちょっとどうしたの? そんなコワイ顔して」
「何であいつから物を貰ったりするんだよ」
「いいじゃない? みんなにくれてるんだもん」
 みんなにくれることが平等であるとは限らないではないか。えこひいきのカムフラージュだってことも充分ありえる。
 そのことが、このミサキという女は分かっていないのだ。
 ――俺のことを、ずっと好きだと言ってたくせに。
「そうか、分かったよ――お前がその程度の女だったなんて、いまさらだが、ガッカリだ」
「なっ!?」


 そこへ江田島という女子社員が、両手いっぱいの荷物を抱えて買いだしから戻ってきた。
「ああ、喜多川課長、いいところに。これから五階にお戻りになられますか?」
「今戻るところさ、江田島さん、どうした?」
 江田島は喜多川にトイレットペーパーの大きな袋を差し出した。いかにも高級そうなパッケージだ。
「これを至急、秘書室へ届けてもらえませんか?」
 五階は外商部のほかに、社長室と秘書室があるのだ。ついでに届けるのはたいして苦ではない。
 快く返事をしてそのトイレットペーパーを受け取ろうとすると。
「いい、あたしが行く」
 横からミサキにぶん取られてしまった。
「何だよ、ゆっくり土産でも選んでたらいいじゃないか?」
 その言葉がとどめを刺した――ミサキの目がつり上がり、喜多川の顔を思い切り睨みつけてくる。
 さすがは、いまだチーム現役。その手の貫禄充分だ。
「この程度の男に、ガッカリなんて言われたくない。――別にいいですよ、外商三課の課長さんに、わざわざ手伝っていただくような仕事ではありませんので」
 立場逆転。本気でミサキを怒らせてしまったらしい。
 しかし、いまさら椿もあとに退けない。再びトイレットペーパーをぶん取り返す。
「これは俺が頼まれたんだから、君は君の仕事をすればいいじゃないか」
「これがあたしの仕事だもん。そんなこと言うなら、喜多川課長はさっさと営業に出かけたらいいじゃない! ほら、今すぐ!」
「アタッシュケースは五階に置きっぱなしだ。どっちにしろ五階に行かなけりゃならないんだから」
「こういうときこそ、シモベの森本さんに持ってきてもらったらいいでしょ」
 取り合って両側から引っ張られていたトイレットペーパーのビニール包装が――わずかなきっかけで派手に裂けてしまった。
 高級ロール紙は全て床にばら撒かれ、総務部のフロアを四方八方に転がっていった……。
「「あっ……」」
 土産を配り歩いていた湯川部長の足元に、そのうちの一つが転がっていく。
「社長、これを今、待っているんじゃなかったかな……? さっき秘書の子たちがそんなこんなで慌てていたようだった。だから私は社長にお会いする前に、先にここに降りてきたんだが――」
 なんという緊急事態。しかも最悪だ。
「どうしよ? 椿さん!」
「大丈夫だ、落ち着けミサキ。とりあえず全部ここへ集めて、一番きれいなのをとりあえず持っていこう。床に落ちたと言わなければ――分からないさ。あとこれから、森本に別なのを買いに行かせるとしよう。五分もあれば楽勝だ」
 てきぱきと指示を出す喜多川の姿に、もちろんミサキの視線は熱い。
「ほら、早くしろミサキ」

 二人は、両手いっぱいのゴミつきトイレットペーパーを抱えながら。
 意地の張り合いによって引き起こされた惨事に、思わず顔を見合わせ――声もなく微笑んだ。

 社長は五階の男子トイレ個室で、ひたすらじっと待ち続けている……。





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