もうすぐ二学期も終わり、楽しいはずの冬休みがやってくる。
菖蒲と達也はいつものように一緒に帰っていた。
阪東達也。喜多川三兄弟のイトコに当たる少年だ。ひょろりとした軟弱そうな体、明るさだけがとりえだ。
達也少年は、ほとんどまっすぐ自分の家に帰ることがない。幼いころから喜多川家に入り浸っている。一緒に帰るというのは、一緒にアヤメたちの家に帰る、ということなのだ。
「あっちゃんさ、クリスマスはどうするの?」
水色のきれいなマフラーをぐるぐる巻きにして、達也は傍らの菖蒲に話しかけてくる。
「いつもと同じだよ。ああ、でも今年はうちでケーキを食べるだけかも。お兄ちゃん次第かな」
ふうん、と達也は気のない返事をした。
「ねえ、あっちゃん。……ちょっと聞いてもいい?」
一言も二言も多い達也少年には珍しく、言いにくそうに菖蒲の様子を伺っている。
「ダメだ、って言ったって、どうせ聞くんだろ? 何なんだよ?」
「最近さ、何で毎日僕と帰ってるの?」
「何でって……?」
「はぐらかさないでよ。じゃ、ハッキリ聞くけど、どうして桜井君と一緒に帰らないのさ。ケンカでもしてるの?」
するどい。いつか聞かれるんじゃないかと思ってはいたが、意外に早かった。
「別れた」
菖蒲がそう、ひと言だけ素早く言う。
二人はしばし無言で歩き続け――そのあと達也は、大袈裟すぎるほどに飛び退いた。そして素っ頓狂な声を、矢継ぎ早に繰り出してくる。
「わ、わ、別れたあ? いつ!? どこで!? どんなふうに!? どんな理由で!?」
「しぃっ! 声がでかいんだよっ、達也は!」
菖蒲は手袋をはめた手で達也の口をふさいだ。勢いあまって、鼻の穴までふさいでしまう。
達也は窒息寸前だ。目を白黒させている。
菖蒲がようやく手を離すと、達也は大きく何度も深呼吸を繰り返した。恐らく花畑が見えていたに違いない。
ようやく落ち着くと、達也は頭を抱えた。
「信じられないよ……クリスマス目前にして、なんて心温まらないエピソードなんだよ!」
当事者に向かって言う言葉だろうか。
温まらない心に冷水をぶっかける、バカ達也めが――。
「あっちゃん。話してよ。僕にだって話を聞いてあげることくらいはできるから」
「達也……」
いつになく殊勝な心がけだ。感動で、思わずコブシが震えてしまう。
「話なんか聞かなくていい。ストレス解消に一発殴らせろ」
「ほっ、ほっ、ホントに一発で済むの? あっちゃんに限って、そんなのありえないじゃないか!」
達也はほとんど仕返ししてこないので、ついつい殴るクセがついているのだ。腹は立つが、達也の言っていることが正しい。菖蒲の言う一発は、最低三発だ。
「本気にすんじゃねえよ……」
どうせ今の気分じゃ、五、六発殴ったっておさまりはしない。
「ホントにさ、何があったんだよ?」
「何がじゃねえよ……元はといえば、お兄ちゃんと達也が盗聴なんかするから」
あの修羅場は、過去に経験したことのないような、まさに惨劇だった。思い出したくもない。
「えええ? 別にそれは関係ないでしょ? そりゃまあ、いくつかある原因のひとつだとは思うけどさ。何なの? 僕にも言えないことなの?」
「お前、お兄ちゃんにすぐ喋るじゃん! 信用できるか」
「椿さんに知れたら困ることなの? 尚更ほっとけないよ! ……それなら、絶対に言わないって約束する」
確かに。一連の事情をすぐに飲み込めるのは、恐らくこの達也だけだ。
一人で抱え込んでは、どうにもならない。
この幼馴染の存在が、こんなにもありがたく感じたことは今までなかった。
自分でもまだ考えがまとまっていなかったが、とりあえず、桜井との関係がギクシャクしている原因を探り出していく。
発端はたぶん、これ――。
「紅林って男に……無理矢理キスされたんだよ。それは桜井も知ってて、気にしなくていいと言ってくれたんだ」
菖蒲はありのままのことを素直に話した。
達也は驚いた様子だったが、茶化すこともなく、真剣に話を聞いている。
「うわ……もしかしてそれって、あっちゃんの初キス? それはそれは……桜井君に同情しちゃうなあ」
やはり、男の目線だ。桜井の気持ちがよく分かるらしい。
「……そう? やっぱり、あいつ怒ってるんだ……そうだよな。桜井とだって、その、まだそんなことになってない……のに」
「ええ? そうだったの? 二ヶ月も付き合ってて、キスもしてなかったんだ、あっちゃんたち」
「……なんだか達也に言われると、すっげームカツクんだけど」
拳を振り上げて、一発二発殴ろうとしたのだが――。
いつもなら大げさに騒ぐ達也が、冷静になにやら考え込んでいる。
「いやいや、そうじゃなくて……桜井君、本当にあっちゃんのこと、大好きなんだろうなって。よく言えば、大切にされてたってことでしょ?」
振り上げたこぶしを、菖蒲はゆっくりと下ろした。力なく。
涙があふれそうだったが、それを必死に我慢する。
「だったら、なんで『終わりにしよう』とか言うんだよ……。原因はあの紅林って男なんだよ、間違いなく」
それだけは確かなのだ。細かいことは分からない。でも、桜井を苦しめているのは、紅林という男なのだ。
「あっちゃんは桜井君のこと好きなんでしょ?」
「好きでもない男と付き合うほど、あたしは器用じゃない」
「だったら! ここでそんな暗い顔してる場合じゃないだろ? そんなの、あっちゃんらしくないよ」
幼い頃からいつもそばにいた。歳が同じせいもあって、一緒にいる時間は家族以上なのだ、このイトコの阪東達也少年は。
誰よりも、菖蒲のことを知っている。そして励ましてくれる。
ちょっとだけ、見直した。
「……そうだよな? こんなのあたしらしく、ねえよな?」
すぐさま携帯を取り出し、桜井の携帯に電話をしてみる。しかし、「電源が入っていない」というアナウンス。
メールも送ってみる。やはり、返事はこない。
「まさか、着信拒否されちゃってる?」
「いや、それは違うと思う。桜井はいまどきの人間のクセして、携帯は掛けるか受けるかぐらいしかできないんだ。着信拒否なんて小細工ができるわけがない! ごめん、あたしガッコウ戻る!」
目指すは、各種部室が並ぶクラブ棟――。
一番奥の『桜組』組員の溜まり場だ。桜井の舎弟たちが出入りしている。
一般生徒がおよそ寄りつかない淀んだ空気。
菖蒲は物怖じせず、ずかずかと中へ入っていった。
いたいた、桜井が水戸黄門なら、助さん格さん的立場の男たち。
しかしその風貌はいつもと違い、二人とも、ガーゼやら絆創膏やらを顔に貼り付けている。
「おい、青白……どうしたんだその怪我?」
「自然災害、ってヤツかなあ。なあ、白崎」
「そうそう、自然災害」
明らかに何かを隠している。しかし、この際、青島白崎の怪我などどうでもいい。
「桜井はどこだ? 電話が繋がらないんだけど」
「あ、アヤメさん。それは……当分ダメだと思う」
白崎が、その人相の悪い顔を傾げてみせた。まったく可愛らしくない。
「ああ? 何でだよ」
菖蒲が凄んでみせると、巨漢の青島があわてて説明をした。
「最近よぉ、桜井様の携帯に嫌がらせの電話とメールが半端じゃなくて……昨日、こう、バキバキっと真っ二つに折っちゃってよ」
「嫌がらせって……相手は紅林なのか?」
初めて聞く話だった。嫌がらせの電話? メール? 一緒にいても全く気がつかなかった。
「紅林のヤロウの手下、だと思うんだけど……俺、ちょっとだけ見えちゃったんだよなあ、最後に来たそれ」
「あ、俺も。でも、そういうことなんだよな……」
……こいつらときたら。
あれとかそれとかこれとか指示語が多くて、しかも相槌ばかり打つもんだから、話の流れが悪くてしょうがない。
「そういうことってどういうことなんだよ! まだるっこしいな、いいから言え!」
菖蒲の再三の迫力に、青島白崎の背筋はぴんと伸び、二人は必死に弁明をはじめた。
「あわわわ、言う言うよ。桜井様が中学の終わりに付き合ってたナツミって子が、今、紅林のそばにいるんだよ」
「そのナツミからのメールを見て……携帯を壊して、それっきり行方知れずってわけよ」
「桜井が、付き合ってた、ナツミ……? 誰それ? しかもまたしても紅林?」
「アヤメさん……桜井様のこと見捨てないでくれ……」
「桜井様はアヤメさんのこと嫌いになったわけじゃ……」
「わかっとるわ! 揃いも揃って女々しいやつらだな!」
足元にすがりつく青白コンビを足蹴にしてやる。すると、傷に触ったのか、二人とも床上を転がってうめき声を上げた。情けない姿だ。
この舎弟たちでは話にならない。
ここはやはり――。
何だか非常に気が進まないのだが、あの生徒会長に聞くのが早いだろう……。
黒磯。表向き優等生の、ただならぬ曲者だ。
しかし、背に腹は変えられない。菖蒲は桜組の居室を後にし、新校舎三階の生徒会室へ足を向けた。
とにかく桜井ともう一度、話がしたい――。
いまはただ、それだけ。
(了)
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