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29 体温  喜多川家の陰謀
 いったいどういうつもりなんだ。
 携帯電話を壊してしまうなんて、正気の沙汰じゃない。
 桜井はいまどき珍しく、携帯で話したり、メールをやりとりするのを好んでやろうとはしなかった。
 うざったがられるのがいやで、菖蒲も極力メールを送らなかった。
 話があるなら会って話せばいい――そう、桜井は言っていた。


 この二ヶ月間のことが次々と思い出される。

 学食で一緒にご飯を食べたり、屋上で菖蒲の作ったお弁当を食べることもあった。
 天気のいい日には木陰で昼寝をしたり、本を読んだり――勉強を教えてくれることもあった。
 そして大勢の舎弟たちが、桜井同様、菖蒲のことも大切に扱ってくれていた。

 いつのまに、こんなにも大きな存在になってしまったんだろう。
 なんで、何でこんなにも悲しいんだろう――。

 たった、二ヶ月の間のことなのに。

 しっかりと握り締めてくれる桜井の手の温もりが、今もリアルに思い出される。


 あの時――。二人で旅行に行ったとき。
 もし、バカ兄とバカイトコが、盗聴なんてバカな真似をしていなかったら。
 確実にもっと二人の距離は近づいていただろう。身も心も。

 紅林との悪夢が脳裏を過って、桜井のことをとっさに拒んでしまったのだ。
 一緒にありたいという桜井の気持ちを、菖蒲は裏切ったのだ。
 そればかりか――桜井のあばらを折ってしまう始末。


 昨日からずっと眠れない。
 桜井の舎弟たちから、「ナツミ」という元彼女の存在を聞かされてから、例えようもない不安と嫉妬で、心がかき乱されている。
 桜井は今、どうしているんだろう。
 元カノのナツミからのメールを見て、……その子の元へと行ったんだろうか。
 何なんだ? いったい、あいつの身に何が起こっているんだ?
 桜井と紅林と、そのナツミという子の間に、いったいどんな関係があるのだろう。


 ――アヤメ。

 桜井?

 ――アヤメ。俺はもう行くからな?

 どこに? どこに行っちゃうの?

 ――あいつを待たせているんだ。お前、一人で大丈夫だな?

 あいつ? いや。……寒い。寒いよ。


 不意に抱きしめられた――温もりに包まれていく。
 桜井。桜井。いつまでも、あたしは桜井のそばにいたい。


「寝ぼけてんのか? こいつ……。まったく」
 椿はコタツの中に入ってうたた寝をしている妹を見下ろして、ため息をついていた。
 菖蒲の目は閉じたまま。
 寝言なのだろうか。しかし、何となく会話は成立している。
「課長! まだですかあ? 買出し、たくさんあるんですからね?」
 玄関先から、叫ぶような大声が聞こえてくる。もう十五分も待たせているせいか、森本青年は何だか落ち着かないようだ。
「分かってる! 今行く」
 椿は寒いという妹の寝言を聞いて、コタツのスイッチを入れてやる。
 そして部下とともに、忘年会の買出しに出かけたのだった。





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