明日はクリスマス・イブだというのに――。
菖蒲の心は深い深い海の底にいた。その深さはマリアナ海溝も及ばぬほどに……。
昨日の放課後のことである。
菖蒲はある人物と話すために新校舎三階に向かっていた。
生徒会室。
それは、学校の中枢機関でもある。
菖蒲の通う高校では、生徒の自治が積極的に奨励されており、おのずと生徒会の力は強かった。
その頂点に立つ男と言えば、国家元首も同然だ。
校長はもちろん、教職員の意見を挟みこませる余地などない。
黒磯和真――。近年稀に見る名会長と、その手腕を賛辞された少年だ。
頭が良く、スポーツもそこそここなし、礼儀正しい言葉遣いと立居振舞いから、大人のウケも大変宜しい。ご立派だ。
しかし、この黒磯少年、もうひとつの顔を持っている。
あのインテリやくざ「桜井知宏」率いる、『桜組』のナンバー2なのであった。
数だけは無駄に多い桜井の舎弟たちの中において、黒磯は特別な地位を築いていた。
桜井が行方知れずとなっている今、何か知っている可能性が一番高いのは、この黒磯会長だ。
しかし、この男。
一癖も二癖も三癖もある、とんだくわせものだ。
「そんなこと僕に聞かれてもね、喜多川さん。僕は桜井君のマネージャーじゃないんですから」
生徒会室の会長専用のデスクで、黒磯少年は顔も上げず、書きものをしながら言った。
菖蒲が机の上に目をやるとそこには――パズル雑誌?
躊躇することなく鉛筆を走らせているのは、どう見てもクロスワードパズル。雑学豊かな黒磯にとっては、簡単すぎる代物だろう。
「居場所が分からないってなら、仕方ねえな。……それじゃ、中学のときに、桜井と紅林と、あとナツミという女にはどんな関係があったのか教えて欲しいんだけど」
黒磯はため息をついた。おもむろに顔を上げ雑誌を閉じ――菖蒲の顔を真正面にとらえ、頬杖をついた。
まあ座って、と向かい側の席をすすめられる。
菖蒲が座るのを待って、黒磯は話し始めた。
「僕たち桜組の幹部は、巷で『桜組四天王』と呼ばれていますが――」
「どこのチマタだよ……呼ばれてないだろ」
菖蒲のツッコミもまったく相手にしない。
黒磯は表情を変えず、淡々と続けた。
「中学の頃はね、青、白、紅、緑、で四天王だったんですよ。ここの高校に入ってから緑が黒に変わったんです」
色の名前は舎弟たちの苗字の頭文字。
緑が、黒に――。
「どういうことだ?」
「緑川君は学校が別になっちゃったんですよ。彼は僕に四天王を任せていったんです。だからね、あんまり古い話は知らないんですよね」
決して知らない口ぶりではない。
知ってて知らないなんて、この男なら平気で言う。
「桜井君の髪の毛のことなんですけど。ほら、これ、緑のリボンがついているでしょう? 緑川君から譲り受けたんです」
黒磯は、机の引出しからあの気味の悪い長い髪を取り出して、菖蒲に見せた。
桜井が中学卒業のときに、腹心の舎弟幹部たちに与えたという長い髪の毛の束。
端は名前にちなんだリボンで結んである。
青島も白崎も、あの紅林も持っていた。
この黒磯少年が「緑色」のリボンのものを持っているということは……緑から黒になったというのは、リアリティのある話だ。
黒磯は新参者、ということなのか。
「振られたショックでね、切っちゃったんですって」
桜井の話なのだろうか。
なんて女々しいヤツ――。
というか、この長さだときっと背中の中ほどまで伸ばしていたに違いない。
想像力の限界だ――。
「相当ショックだったんでしょうねえ」
どきん。
胸が締めつけられるようだ。
何だろう、この感覚――。
「桜井は今でもその……ナツミって子のことが好きなのか?」
「ふふふ、知りませんよ、そんなこと」
黒磯は意地悪く笑って見せた。
「ナツミって子から桜井の携帯にメールが来て、それでそのまま行方不明なんだよ。携帯壊しちゃって、どこにいるかも分からないし」
「もう喜多川さんとは何も関係がないでしょう? 余計な心配なんじゃないですか?」
何も関係が、ない?
余計な、心配――?
この男に、なぜそこまで言われなくてはならない?
「あたしは別れてやるなんて、ひとっ言も言ってないぞ」
黒磯は驚いたようだ。きっと桜井から『ちゃんと別れた』とかなんとか聞いたんだろう。
菖蒲にそのつもりがないというのは、意外だったようだ。
「あのね、喜多川さん。桜井君の気持ちも分かってあげてください。喜多川さんが意地を張れば張るほど、桜井君は困るんですよ?」
それがどうした。少しくらい、桜井の困った顔が見てみたいくらいだ。
もう、黒磯などに構っている時間はない。
「桜井のこと、探しに行く」
「当てもないのに?」
「あたしが当てにしていたのはお前だ。そのお前が知らないっていうなら、自分で探すしかないだろ! じゃあな」
菖蒲はそそくさと立ち上がり、生徒会室を出ようと黒磯に背中を向けた。
「待ってください、喜多川さん」
ドアノブに手をかけたところで、黒磯は菖蒲を引きとめた。
「わかりました。では、時間をもらえませんか? 心当りに手を尽くしてみますから。明日は学校休みですし……分かり次第、喜多川さんに連絡しますよ」
言ってみるもんだ。
黒磯が、動いてくれる――。少しだけ、安心した。
十二月二十三日――。
午後三時が過ぎた。
いつの間にか居眠りをしてしまっていたようだ。携帯の着信音で目が覚める。黒磯だ。
『桜井君の居所を知っている人を見つけたんです。これから出てこられますか?』
でかした、黒磯――。
「大丈夫、すぐ行く! 黒磯会長は今どこにいるんだ?」
「喜多川さんの家の近くまで来てますよ。コンビニのところです。隣がコインランドリーになっている――」
「分かった」
桜井に会えるかもしれない。
もう一度、会ってちゃんと話そう。
コンビニの前にくると、黒磯が寒空の外で律儀に待っていた。
手には湯気立ち上る紙コップを二つ。
「コーヒーは平気? 僕のオゴリ」
「あ、アリガトウ」
なかなか気が利く。夕方になって随分冷え込んでいた。
菖蒲は何の疑いもなく、黒磯の手からコップを受け取り、半分ほど飲んだところで――。
手から紙コップが離れ、ゆっくりとアスファルトにコーヒー色のしみが広がっていった。
「ごめんね? 喜多川さん……ふふふ」
(32 ライター へ続く)
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