いったい、何が起こったんだろう。
黒磯に呼び出されて、近くのコンビにまで行き、コーヒーを飲んだところまでは覚えている。
そこからの記憶がない。
湿っている。ひんやりとした空気。薄暗い。
ここはどこだろう。古びた倉庫のようだが。
「ようやくお目覚めかい? あやめタン? わははは」
イヤだ――。悪夢だ。
だれか、これは夢だといってくれ。
どうしてこの男が目の前にいるんだ?
紅林善造――。
そして周りには数人のガラの悪そうな男たち。
全然珍しくはない。昔の兄貴と同じ匂いがぷんぷんする。
学校では見かけない顔ばかりだ。おそらく紅林がトップを務める暴走族チームの連中なのだろう。
でもどうして。
コンビニの前にいたはずの菖蒲が、この紅林のところへ連れてこられたその理由が知りたい。
「なんで……何であたし、こんなところに」
「桜井サンに会いたがってるんでしょ? 桜井サンのこと探してるんでしょ?」
「それはお前に関係ないことだろ」
「せっかく、会わせてやるって言ってるんじゃないか。喜多川さんがエサになってくれたら、きっと会いに来てくれるんじゃない? がはははは」
やられた――。
「あいつとはもう別れたんだ。来るわけ、ないだろ……」
「あーあ、ホントは来て欲しいって顔だねェ。ますます妬けちゃうな、桜井サンに」
「別れた女を助けに来ないような、そんな男じゃないのは僕がね、よォく知ってるんだよ? ナツミの時だってよ、あいつはちゃーんと来たよ。見ものだったぜ? 桜井サンの目の前でよ、ナツミが俺のものになったときは、はは、あいつ、この世の終わりみてえな顔しやがってよ」
桜井と紅林とナツミという子の、歪んだ三角関係――。
ひどい、ひどすぎる。
桜井にそんな過去があったなんて、知らなかった。
「もう一回見てえんだよ」
こいつ、おかしい。どうかしている。
「言っとくけど、あたしはお前のものになったりしないからな?」
「だったら、今度こそ桜井サンの目の前で、力ずくででも奪ってやるよ」
それはイヤ。それだけは絶対に、イヤ。
紅林の目が、怖い――。
「ふふふ、紅林先輩、悪ふざけが過ぎますよ。彼女は一応、『喜多川椿』の妹なんですから」
コンテナの陰から姿を現したのは、さっきまで一緒にいたはずの黒磯少年――。
これまたガラの悪そうな男を一人、従えている。
ニット帽に、手の込んだトレッドヘア。サングラスに薄いくちヒゲを生やした、チンピラ風の大きな男。
黒磯がチンピラとも繋がっていたなんて驚きだ。表向き優等生の生徒会長とは、なんて分厚い化けの皮――。
「黒磯! どういうことなんだよこれは!?」
「どういうって、たぶん喜多川さんが見て感じたとおりですよ」
嘘だ。
嘘だと言ってくれ、黒磯。
「僕はしょせん、桜組では外様の舎弟ですからね。強いものに従うというのは世渡りの最低条件ですよ?」
「――裏切り者」
桜井。こんなときに信頼している部下にも寝返られるなんて。
紅林が黒磯少年に向かって言う。
「黒磯。俺はまだ完全に信用したわけじゃないぞ? 例のもの、ちゃんと持ってきたんだろうな?」
「安心してくださいよ、紅林先輩。いかなるときも強い人間についていくのが僕のポリシーですから」
そう言って、黒磯はズボンのポケットから銀色に光る小さなものを取り出した。そしてそれを菖蒲に見えるように向けた。
「喜多川さん、君ならこれなんだか解りますよね?」
兄の椿が愛用していたライターだ。見覚えがある。
確かそれは、桜井に譲っていたはず――。
「そう。君のお兄さんが愛用していたジッポーですね。これでしょう? 桜井君が大切にしていたものです。失敬してきました」
黒磯はライターを紅林にはっきりと見えるところに置いた。
「あなたへの忠誠を示すために、……おい、やってくれ」
後ろに控えていたチンピラ風の手下が、用意してあった鉄パイプで、ライターを思い切り叩き潰した。
見るも無残な姿。なんという怪力だ。もう使い物にならない。
それよりも。
ライターを叩き潰すと同時に、兄・椿と桜井の信頼関係も叩き潰したのだ、この黒磯という男は。
許せない。――許さない、決して。
「たいしたもんだ、黒磯よ。これは信じるなっていうほうが酷だよなあ? お前だけは敵に回したくないねェ」
黒磯が菖蒲のほうをじっと見ていた。そして目が合うと、嘲笑してみせた。
更にライターの残骸を足で踏みつけ、床コンクリートに擦り付けた。
(33 口紅 へ続く)
Copyright © 2004- sumire*STYLE All rights reserved.