「最悪だ――」
椿は頭を抱えた。忘年会の日時と、会費のことは頭にあったのだが、肝心の場所を見落としていた。
「え? 結構評判なんですよ、ここ。何で最悪なんです? 喜多川課長、来たことあるんですか?」
部下の森本が興味深げに聞いてくる。
来たことがあるどころか――昔は二日と空けず入り浸っていた。
そう、ここは知る人ぞ知る、地元チーム御用達の居酒屋。
元レディースの女将が切り盛りをしている――。
そしてこの女将、喜多川椿と過去に関係のあった女の一人だ。
宴会も中盤に差し掛かった頃。
一人の少女が、店の中へと入ってきた。あたりを見回して、誰かを探しているようだ。
そして、彼女が見つけた人物――。
「ミサキさん!」
「あれ? ナツミちゃん! どうしたの?」
椿もよく知っている少女、ナツミだった。
ミサキは総務部のくせに、外商部の忘年会に特別に参加しているのだ。一応立場を考えているのか、一番出入り口に近い席に座っていた。
ナツミはミサキのそばへ寄っていき、事の顛末を話し出す。
「紅林さんが……紅林さんが……」
「ええ? つば……えと、喜多川課長! ちょっとこっち!」
ミサキは必死の形相で、はるか上座近くの椿を手招いた。
何事か、起こったらしい。
嫌な予感がする。とても。
「喜多川さん! 紅林さんが、桜井君をおびき出すために、菖蒲さんを人質に――」
はい、予感的中――。
ナツミは今にも泣き出しそうだった。
しかし、ここでは目立ちすぎる。
椿はナツミとミサキを連れ、宴会中の座敷席からボックス席へと移動した。
「菖蒲のヤツがつかまった……って、なんて物好きな……」
「何のん気なこと言ってるの! 助けに行かないと!」
ミサキは椿にけしかけるように言った。
ナツミもすがるような眼差しで、椿に必死に頼み込もうとする。
「お願いします! 喜多川さん! 桜井君にもそろそろ危ないかもってメールを送ってみたんですけど、……返事もこないし、電話も繋がらなくて。喜多川さんしかいないんです! 紅林さんを……止めてください」
「あのね、ナツミちゃん……現役連中のところに、この俺が一人のこのこ出かけて行ったって、助けるどころか逆に返り討ちにあうだけだ。とりあえず警察に通報しよう」
胸ポケットから携帯を取り出すと――ミサキはすぐさまそれを取り上げ、椿に一喝した。
「バカ! それでも男なの? 元暴走族のトップが聞いて呆れるわ! たった一人で、敵チームに乗り込んで行った、あの時の椿さんはいったいどこへ行っちゃったのよ!」
ミサキの大声に、シーンとした空気が店内全体を包み込む。
しかし、すぐに喧騒に包まれた。同僚たちにはハッキリと聞こえなかったらしい。
――なんてことを口走ってくれるんだ、この女は。
椿は頭痛がしてきた。
「コラコラ! いったいどうしてくれるんだ、俺の社会的地位を。……今まで隠し通してきたっていうのに」
「妹の命と自分の社会的地位、どっちが大事なの!」
仕事と私とどっちが大事なの、などと下らぬことをぬかす女のようなことを――。
愚問だ。
「どっちも大事に決まってるだろうが!」
女将は、注文のビールやら日本酒やらを配りながら聞き耳を立てている。
なにやら揉め事の匂いを嗅ぎ取ったらしい。
女将が椿の元へさりげなく寄っていき、一瞬抱きつくようにして、椿のシャツの襟元に、唇を押し付けた。
白いシャツにはっきりとキスマークがつけられている。
女将の口紅はショッキングピンク。かなり目立つ。
「あらあら、ぶつかっちゃって御免なさいね。クリーニングしてお返ししますので、奥でお着替えになってください」
「え? いや、俺は別に構わないが――」
椿は途惑っていたが、女将に腕を引かれ、強引に店の奥の間へと連れ込まれた。
驚いているナツミ、そしてふくれるミサキを残したまま。ああ、あとが怖い。
しかし、いったいどういうつもりだ、女将?
まさか昔のように、一夜を共にしろなどと言われるのでは? なんて余計な心配もしてしまう。
それは、困る。ミサキが一緒のときは尚更。
しかし、それは杞憂に終わった。当たり前だバカ。
「裏に私のハーレーがあるから、乗っていきなさい。いいわね、椿くん」
ハーレー?
一線を退いて久しい椿に、この元レディースはバイクに乗れという?
「女将?」
「衣装もちゃんと、とってあるから」
「マジで言ってんのか……? おいおい、ウソだろ……」
「ちょっと椿さん! いつまで女将とイチャついてる……の?……よ?! ………………やだ?」
そこに佇むは、背中に派手な刺繍の入った白い特攻服姿の、喜多川椿。
伝説のトップが今宵、復活――。
(34 一面のハナビラ へ続く)
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