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34 一面のハナビラ【聖夜編】  喜多川家の陰謀
「もうすぐ八時ですね。約束の時間です」
 冷え切ったどこかの倉庫の中。
 広々としているが、壁際には大きなコンテナがいくつも積み上げられている。
 頻繁に荷物の出入りがある場所ではなさそうだ。人気がないからこそ、紅林たちのような暴走族チームの溜まり場となっているのだろう。

 紅林が、黒磯から聞き出した青島白崎二人の携帯に、「午後八時に一人で来い、と桜井に伝えろ」と脅迫とも取れるメールを送ったのだ。
 それが、午後六時の話だ。

 菖蒲は後ろ手にきつく縛られ、その先をコンテナの金具部分に厳重に結び付けられていた。目隠しや猿轡はされていない。
 黒磯のヤロウが何かにつけては善人ぶって、「彼女は喜多川椿の妹ですから、扱いは丁重に」などとほざいているせいだ。
 おかげで、ちゃんと石油ストーブもそばに持ってきてくれたりと、待遇は悪くない。
 しかし、その優しさが逆に鼻についたりして。
「逃げようだなんて、考えないでくださいね?」
 そう言って黒磯は、チンピラのような自分の手下を菖蒲の監視につけた。
 さっき、このチンピラ男が桜井のライターを叩き潰したときのことを思い出す。
 こんなヤツに、絶対かなわない。
 逃げる気なんてすぐに失せるっつーの……。


 脅迫メールを出してから、まだ二時間しか経っていない。
 桜井は来てくれるんだろうか。
 もう別れてしまったから関係ない、そう言って無視される可能性だってある。
 それよりも青白舎弟コンビが、二人揃って紅林のメールに気付かなかった、なんてことになったら、死んでも死に切れん。
 ――そんなことしてくれやがったら、市中引き回しの上、打ち首獄門の刑だ!

 いや多分。きっと、桜井は来てくれるはず。
 しかし……。
 来たところで――この黒磯が寝返った状況で、いくら超人の桜井でも、勝算の見込みはほとんどない。

 倉庫の扉が軋むような不快な音を発てて、ゆっくりと開いた。
「おー? 時間ピッタリじゃねえか? 律儀だね……」
 しかし現れたのは二人の男。
 巨漢の青島と、咎人面の白崎ではないか。

「あのさあ、お前ら日本語理解できないの? そこまでおバカサン? 桜井サンに、午後八時に、一人でって言ったじゃん?」
 青島と白崎の両脇と後ろに、紅林の手下が取り囲むようにして立った。退路を断つために――。
 すると青白コンビは、紅林の足元に両手両膝をつき、額をコンクリートに擦らんばかりに下げた。
 なんということだ。
 ――土下座、しやがった? こいつら?
「俺らだって今の今まで精一杯探したんだけど、まだ連絡がとれねえんだ。紅林、頼む。もう少し時間をくれないか?」
「アヤメさんの代わりに、俺が人質になるから……頼むから、アヤメさんを放せ」
「はなせェ? 放して、ください、お願いします、だろォ?」
 紅林は土下座している青島と白崎の後頭部を、力任せに踏みつけた。
 二人のうめき声がガランとした倉庫に響き渡った。

「君たち、意外と根性あったんですね? 桜井君のためにそこまでできるとは思いませんでしたよ」
 それまでコンテナの陰に隠れるようにしていた黒磯が、ようやく青島白崎の前へと出て行った。
「く、く、く、黒磯? お前こんなトコで何やってるんだよ?」
 青白コンビはおでこから派手に血を流しながら、目の前に現れた黒磯を見て、わけが分からず混乱しているようだ。
「青白! 騙されるな! 黒磯は桜井の味方じゃねえぞ!」
 菖蒲は二人に向かって叫んだ。
 黒磯は一瞬だけ菖蒲のほうを見た。
「とりあえず、青島君と白崎君も捕まえておきましょうか。人質の数が増えるたびに――桜井君の背負う十字架が重くなっていきますから、ね」
 どうしてそんな淡々と、恐ろしいことが言えるんだ?

「でもさァ、桜井サン、こいつらが捕まってること知らないんじゃ、意味ねえじゃん?」
 紅林はつまらなそうに言う。
 青島白崎が、桜井に連絡が取れないと言っていたのが、気に入らないようだ。
「桜井君はもう知ってますよ、きっと」
 またも黒磯。完全にこの場を仕切っているのは、紅林ではなくて黒磯だ――。
「なに? どういうことだ?」
「青島君たちがうまくやってくれることはあまり期待してなかったので、僕も別ルートでアプローチを試みたんです」
「で? ヤツは今どこだ?」
「病院じゃないでしょうかね。何食わぬ顔して生活してますけど、あばら折れてますからね。呼吸するのも苦しいはずですよ。誰にやられたのかは知らないですけど」
 黒磯がまた、菖蒲のほうを一瞬だけ見た。
 気付いている。桜井の怪我も、それが誰にやられたのかも――。
 
「おい黒磯! ホントに、桜井様の耳に入ってるのか?」
「ええ――どうかしましたか?」
「知っててここに現れないなら、桜井様はここに来れない理由があるんだ、そうに決まってる」
「そうそう。理由もなしに俺らを見捨てるような人じゃねえ!」


 紅林はゆっくりと菖蒲の繋がれているコンテナへと寄ってきた。
 そして、菖蒲の正面に立ちはだかった。ニヤリといやらしく笑うその顔は、左前歯が抜け落ち、間抜けなことこの上ない。
 以前、無理矢理この男にキスされたときに、菖蒲が顔面パンチを食らわして折ってやったのだ。
 そのときの光景が、紅林の顔を見て、再び蘇ってくる。
「お前のために、来てくれなかったみたいだぞォ。カワイソウだねー。俺が慰めてやるぜ? キスの続きをしようぜェ?」
 もう、イヤ。
 桜井を裏切るようなことはもう、絶対にイヤ――。
「来る訳ないだろ! あいつはお前なんかよりもずっとずっと頭がいいヤツなんだ! この程度の罠に簡単に引っかかるとでも思ってんのか?」
 自分の口から発せられる言葉に、菖蒲自身が驚いている。
「しょせんその程度の男なんだよ? イイ加減目を覚ませばー?」
 紅林の後ろから、黒磯が首を傾げながら言った。
「やっぱり別れたという噂は本当だったんでしょうかね」


「……大好きだ」
 どうしよう。
 どうしたらいい?
 あふれ出る想いが、とどまることを知らない。
「ああ? いま、何て言った?」
「惚れ直したって言ったんだよ! 桜井のこと!」
「……お前、頭オカシクなっちゃった? 助けにも来ない冷たい男のことを惚れ直したァ? 負け惜しみか、わははははは」
「助けに来ない? 上等じゃねえか! あたしは初めからあいつの足かせなんかじゃないんだよ! よーく覚えておきな! いいか、むしろ私はあいつの守り神だ! 桜井に何かしようもんなら、てめえらのこと、兄弟揃って末代まで祟ってやるからな!」
 菖蒲は息も吐かせぬ勢いで、一気にまくし立てた。
「ははは、威勢がいいですねぇ。話がまるっきり逆転してますよ? それに、それじゃあ『守り神』じゃなくて『祟り神』なんじゃないですか?」
 黒磯がそういうと、紅林をはじめ、手下たちが下品にもげらげら笑い出した。
 何がおかしい。気付くと菖蒲を見張っているチンピラ男さえ、僅かに身体を揺らしている。
 睨みつけてやりたいところだが、やはり怖い。
 極力顔をそむけるようにして、菖蒲は必死に耐えた。


「紅林先輩、お楽しみは桜井君が来るまで取っておきましょうよ。日付が変わるまでは――とりあえず待つことにしましょう。その間腹ごしらえでもして。人質は鍵のかかる部屋に入れておけばいいんです」
「来なかったらどうするんだよォ?」
「紅林先輩の手下を全て集めて、ここで人質の公開処刑をしましょう。もちろん録画しておいて、桜井君に送りつけてやればいいですよ。自分が助けに行かなかったせいで大切な人たちがメチャクチャになるという、一生逃れられない十字架を背負ってもらいましょう、ふふふ」
 公開処刑――。
 その言葉に、菖蒲と青白コンビは、一気に血の気が引いてしまった。
「そりゃ、名案だ。見捨てられちゃった惨めなお花チャン。最後ははかなく美しく散りゆくといい。わはは。桜井サンの顔が見ものだな。がはははは」

 ――いったい、どうしたらいいんだ。どうしたら……。


(35 真夜中の非常階段 へ続く)


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