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36 世界に一つだけの…… 【聖夜編】  喜多川家の陰謀
「喜多川さん、よく頑張りましたね」
 倉庫の中では激しい乱闘が続いている。菖蒲たちのいる部屋にも、その派手な音が響いてくる。
 お兄ちゃん――。
 桜井――。
 ついでに、青島と白崎――。
「いいんですよ、心配しなくても。ああいう人間たちはみんな、血の気が多いんです。止めにはいったところで、無駄骨に終わります」
 さっきまで紅林に媚を売っていたこの男、黒磯少年。
「おまえ、裏切ったんじゃなかったのか?」
「一世一代の名演技だと、褒めてもらいたいもんですけどね」
 ふふふ、と黒磯は悪戯っぽく笑ってみせた。
 本当に演技なのだろうか? 地じゃないのか……?
 達也たちに喋ったのも、きっとこいつの仕業だ――。
「おまえ、あたしに変なもの飲ませただろ? よくもあたしを売るような真似を……」
「仕方なかったんですよ。君がおとなしくしてくれればいいものを、桜井君を探すなんていって、無茶なことをしかねなかったからですよ。勝手なことをして紅林先輩の目に付く行動をして欲しくなかったんです」
「は? どういうことだよ?」
 言っている意味が、よく分からない。
 黒磯は続けた。
「だからですね、逆転の発想というか、僕が寝返ったふりをすれば、紅林先輩の計画もおのずと分かるでしょう? 紅林先輩に信用してもらうには、どうしても喜多川さんを連れて行く必要があったんですよ。もちろん危険な目にあわせるつもりは最初からありませんでした。そのために、あんな変装までした桜井君が――」
 黒磯はそこで一度言葉を止めた。
 ふっと、おかしそうに微笑み、そして菖蒲の目をまっすぐに見つめた。

「いつだって桜井君は、君のそばにいたんですよ」

 淡々と発せられる黒磯の言葉が、菖蒲の胸を痛いほどに突き刺した。
 なんと言ったらいいのか――自分の心を表現する言葉が、見つからない。
 ただ、ひと言。バカヤロウ、と。

「喜多川さんがみんなの前で切ってみせた啖呵ね、君の一番近いところで、桜井君は聞いていたんですよ?」

『……大好きだ』

『惚れ直したって言ったんだよ! 桜井のこと!』

『助けに来ない? 上等じゃねえか! あたしは初めからあいつの足かせなんかじゃないんだよ! よーく覚えておきな! いいか、むしろ私はあいつの守り神だ! 桜井に何かしようもんなら、てめえらのこと、兄弟揃って末代まで祟ってやるからな!』

 そうだ。あの時、黒磯の手下のチンピラ男はずっと菖蒲を見張るために、そばにいた……。

 桜井……。

「さあ、そろそろ出ていってもいい頃でしょう。喜多川さん」

 下では乱闘が収束しつつあった。
 もちろんバカ兄の椿とバカ彼の桜井が、驚異的なケンカ能力で反抗勢力を殴り倒しているからだ。
 どさくさにまぎれて、青島や白崎のことまでも殴っていたのはさておいて……。


「――紅林」
 横たわる紅林のそばに、桜井は立っていた。
「今回のことをとやかく言うつもりはない。ただ、お前に言っておく。――菜摘のことを、自由にしてやれ」
 ナツミ。
 桜井がその名前を口にするのを、菖蒲は初めて聞いた。

 これで、終わったのだ――。きっと。

「さあ、引き揚げるぞ!」
 木刀を振り回し、好き勝手暴れた椿が号令を掛けた。
 それを合図に、椿の仲間たちは倉庫を後にし、次々と帰っていく。
 紅林は手下たちに引きずられ、逃げるようにして去っていった。
 紅林の姿が完全に見えなくなってしまうと、桜井はゆっくりと、床コンクリートの上へ倒れ込んだ……。
 菖蒲は声も出せず、急いで桜井の元へと駆け寄った。


「俺のことを守ってやるだなんて女は初めてだよ。傑作だ」
 コンクリートに大の字に寝転がったまま、桜井は言った。
 額に浮き出た汗が雫となって、地面に伝い落ちている。
「これからもずっと、この俺のこと守ってくれるんだろう?」
 桜井は気障ったらしく笑ってみせた。くっきりとした二重瞼が緩やかな弧を描く。
 いつになく桜井の笑顔が柔らかい。
 菖蒲は横たわる桜井の脇に、ぺたりと腰を下ろした。そして、桜井と目を合わせてしっかりと大きく頷いた。
「ずっと、ずーっと、いつまでもお前のそばにいる」
「ふっ、それは頼もしい。ああ――アヤメ、手を貸せ」
 桜井は右手で左脇腹を押さえながら、左手を菖蒲に向かって差し伸べた。
 派手な乱闘を繰り広げたせいで、悪化させたに違いない。
 一人では起き上がれないほど――。
「脇腹……痛むのか!?」
 状況が状況だったとはいえ、桜井のあばらを折ったのは他でもない、菖蒲自身なのだ。
 それなのに、こんな無茶な乱闘を……しかし、それも菖蒲のために。

 ――それが、桜井という男なのだ。

 デカくて、超男前で、悪知恵巡らす優秀な頭脳で、コワモテの舎弟たちを大勢引き連れて、白菜と椎茸と甘いものが好物で、……菖蒲を救うために、己が身体を省みずド派手な乱闘を繰り広げる、そんな過激な男。

 確実に言える。――こんな素敵なバカヤロウは、世界中捜したって他にはいない。

「俺の女神様は、どうやら最強らしくてな。ホント、かなわねえよなぁ……」
 まったく嫌味なヤツだ。
 こんな破天荒で豪快な男に、『最強』などと言われたくはない。
 菖蒲は、桜井を起き上がらせる手助けをしようと、左手を差し出した。
 しっかりと桜井の大きな手を握り締めると、彼はさらに強い力で握り返してくる。
 だが、しかし。
 桜井は、菖蒲の力を借りることなく、難なく上体を起こし――そして。
 二人の目と目が合った。
 繋がれた菖蒲の左手は、勢いよくそして強引に、桜井の左手によって引き寄せられた。バランスを崩し、桜井の大きな胸の中に倒れこんでしまう。
「さ、桜井……!?」
 桜井の瞳は、深い深い琥珀色。
 間近で見ると、硝子玉のように透き通っている。
「大好きだ、アヤメ」
 低くツヤのある声で、桜井はささやくように言う。吐息が感じられるほどの至近距離。

 菖蒲は優しく優しくその大きな胸の中に抱きしめられ、二人の唇はゆっくりと重ね合わされた。





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