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いいから座れ。  
「じゃあさ、確かめさせて――欲しいんだけど。君と安藤のこと」
 秀平の顔にはすでに笑みはなかった。睫毛の長いきれいな二重の目は、じっと梨緒子の顔に注がれている。
 何でそんなこと聞くんだろう。
 一体何を確かめたいというのだろう。
 背の高い靴箱の狭い空間に二人きり。辺りは静かだ。人の来る気配はない。
 頭の中はいろいろなことがめぐってすでにぐちゃぐちゃだ。梨緒子の緊張は、最高潮に達していた。
 こんなことなら、待ち伏せなんかしなければよかった。
 そう思ったところで、いまさら事態は好転しない。
「私とルイくんは、ただの友達だよ。ほら、美月ちゃんの方が――えっと、波多野さんね、彼女の方がルイくんと幼馴染で、それで」
 梨緒子は秀平の顔色をうかがいながら、必死に答えた。
 類少年が秀平のことを『女子の名前は覚えようとはしない』人間だと言っていたのを思い出し、慌てて美月の苗字を出してみたのだが――。
「でも、安藤はそうは思ってないみたいだけど?」

 そうは思っていない――そう、って?
 友達だと思っていないってこと?

「それか、俺のことを嫌いか――どっちかだな」

「嫌ってなんかないよ! ルイくんはそんな人じゃないから」
 言ってしまった後で、梨緒子はすぐさま後悔の念にかられた。
 秀平を弁護するつもりが、類を擁護する発言になってしまったことに気付いたからだ。
 そしてそれは、秀平の眉の動きで確実にとどめを刺される。
「じゃあ、どんな人?」
 しまった。

 俺の考えているような人ではない。つまり、俺の言ってることが間違っているって、君はそう言いたいんだな?

 秀平の眼差しは、そうはっきりと語っている。
「どんな……って、言われても」

 秀平に対する圧倒的な場数の少なさが、梨緒子を苦しめた。
 いつも遠くから眺め、想像を膨らませているだけだったのだ。いつもクールフェイスで物静かな孤高の王子様だと思っていたが――実物の秀平は想像以上に繊細で脆く難しく、どう対処していけばいいのか、梨緒子には全く解らない。
 こんなことなら、もっともっと、秀平の兄である家庭教師の優作に、探りを入れておくべきだったと、秀平を目の前にし絶望的な気分で思ったが、後の祭り。

「江波が兄貴の生徒じゃなかったら、安藤もこんなに俺に絡んでこないと思うのに」
「え? それってどういう……?」
「安藤はさ、江波が俺の兄貴と仲良くなるのが、気が気でないんでしょ。君が兄貴の生徒だって昨日初めて知って、……だからやたらと俺に絡んでくる、そういうことなんだ、って納得したよ」
 梨緒子は思わず自分の耳を疑ってしまった。
「別に安藤が江波のことを好きでも俺には関係ないけど」
 秀平は容赦なく言葉をあびせかけてくる。
「俺、煩わしい人間関係のいざこざに巻き込まれるの、好きじゃないんだ」

 関係ない。
 好きじゃない。
 関係ない。
 好きじゃない。

 その二つの言葉が、梨緒子の頭の中を何度も何度もエコーのようにはね返る。
 別に期待していたわけではなかったが――あまりにひどすぎる。

「あ……あの、ええと……ごめんなさい」
 梨緒子が必死に声を振り絞ってそう言うと。
 秀平の大きな両目が驚いたように、さらに見開かれた。
 彼が初めて見せる人間らしい表情で、梨緒子は自分がいつのまにか涙を流していたことに気付かされた。



「リオ?? どうしたんだよ…………泣いてんのか?」
 美月と一緒に帰ったはずの、安藤類だった。制服に通学用の青いデイバックを肩から下げている。
 きっと美月から、無理やり根掘り葉掘り聞き出して、おせっかいの虫が抑えられなかったに違いない――簡単に予想はつく。
 いつも近道する市民公園の遊歩道で、もうじき開花しそうな桜の木にもたれながら、ずっと梨緒子が通るのを待っていたようだった。
 うつむき加減に歩いている梨緒子を、類は目ざとく察知し軽やかに走り寄ると、しっかりと腕を掴んだ。
「放して! いいから構わないで!! ……私のことなんか放っておいてよ」
「放っておけるかよ! ひょっとしてあいつか? 永瀬なのか? 何をされたんだ?」
「何も、何もされてない。ホント、何でもないの」
 秀平に言われたことを、この類少年にだけは言う訳にはいかない。
 しかし。
 類が秀平に対して非友好的な態度をとっているとは、梨緒子には信じられなかった。

 ――仲がいいのは認めるけど。でも、そんなヤキモチを焼かれるような仲じゃないし。それに……どうして優作先生なの?

 解らない。どうして秀平がそんなこと言うのか解らない。
 秀平の言葉が梨緒子の胸を突き刺し、抜けない。
 涙は止まらない。次から次へと溢れてくる。

 類は困ったようにため息をつき、掴んだままの梨緒子の腕を更に引き寄せた。
「いいから座れ。な?」
 類少年に促されるまま、公園のベンチに腰掛ける。
 梨緒子が泣き止むまで、類はいつものおせっかいを封印し無言のまま、今にも泣き出しそうな曇天を仰ぎ、軽くため息をついた。


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